私の視点は、こゝにしかない
「寝る前に聞きたい宇宙の謎17選」
などといふYoutube動画を、夜寝る前ではなく、朝、起きがけに聞いてゐたら、
「我々はもしかしたら、ブラックホールの中に住んでゐるのかもしれませんね」
といふナレーションが耳にとまつた。
そして、
「なるほどな。その可能性は否定できない」
と思つたのです。
実際、我々が今ブラックホールの中に住んでゐると考へて、何か不都合があるでせうか。
最新の天文学や物理学で学んだ知識によれば、ブラックホールではすべてのものは跡形もなく破壊され尽くす。生命体がそんなところで生き延びられるはずがない。
さう学んだのですが、一体誰かが、実際そこに行つて体験してみたのでせうか。ただ、科学といふ名の理屈によつて、さうに違ひないと考へているだけでせう。もしも本当にブラックホールの中にゐながら、ちやんと生きてゐると感じるのなら、それがブラックホールの実際の姿なのに違ひない。
同様に、宇宙の歴史は138億年以上さかのぼれないとも言ひますが、それだつて、何かの計算で試算したものに過ぎないでせう。そもそも、138億年などといふ悠久な長さの時間を持ち出して我々を脅かしたつて、そんなものは脅すほうも脅かされるほうも、実感できてはゐない。
我々が実感できるのは、せいぜい、自分がこの肉体で生きられる100年程度。200年先の未来を想像してみようと言はれても、実感はないから空想するしかないでせう。
さう考へていくと、結局我々は自分が今ゐる場所の視点でものごとを見て、考へてゐることに気づきます。宇宙がいくら広いと言つても、所詮は地球といふ視点から眺めてゐるに過ぎない。巨大な望遠鏡を使つても、やはり視点は同じです。
そもそも、量子もつれ理論によれば、互ひに関連し合つてゐる2つ以上の量子系では、どんなに離れてゐても、一方の量子に何らかの操作をすると、もう一方の量子にも瞬時に影響が及ぶと言はれます。それなら、宇宙が何百億光年の広さを持つてゐたつて、それがどうしたといふことになる。
今を生きてゐる私にとつて、138億年といふやうな実感もできない長すぎる時間など意味がありはしない。何百億光年などといふ宇宙の広さも必要ない。ただ、毎日欠かさず、太陽が東から昇り、西へ沈んでくれれば、それで何の不自由もなく生きていけます。
今はそのやうにして生きてゐるから、地球がブラックホールの中にあらうがなからうが、そんなことはどちらでもいゝことです。
「宇宙がどんなに広くても、私の視点は、こゝにしかない」
これは、思ひのほか重要なことのやうに思へます。
神がこの宇宙を創造したと聖書は記し、それを信じてゐる人は多い。聖書の言ふ通りなら、その神は一体どこから、自分の創つた宇宙を眺めてゐるのでせうか。神の視点はどこにあるのでせうか。
無所不在の神なら、どこからでも眺めることができさうです。瞬時に宇宙の端から端までワープすることも可能に違ひない。
しかしそれは、非常に自由で、融通無碍で、思ひのまゝのやうに見えながら、その実、決して面白くはないのではないか。あまりに自由過ぎれば、刺激が乏しい。
それで神は、敢へて自分の視点を極度に制限し、我々人間の貧しい視点に寄り添ひたいと思はれる。せつかく苦心して創つた広大な宇宙を、人間は地球からしか眺めることも観察することもできない。雲がかかれば天体は見えないし、太陽が地球の周りを廻つてゐるやうにさへ見えてしまふ。
しかしそれが、神にとつては面白いかもしれない。視点を自由に動かすことができず、それでゐながら、地球が太陽の周りを廻つてゐるのではないかと考へ始める。さういふ人間の一所懸命の探究こそ、神に、神自身では作り出せない面白みを感じさせる。
だから我々は、ブラックホールの中であらうと外であらうと、今ゐるところから宇宙を眺める。自分の人生100年の中で精一杯に生きる。どうせそれしかできないのだから、それに徹する。
宇宙の探求は、一見すると自分の目を外部の遠いところに向けるやうに見えながら、気がついてみると、自分自身の中を覗き込む運命に導かれてゐる。実に面白い運命ではないでせうか。

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