あなたが希望になつたらいゝんぢやないの?
養老孟司さんの「大言論シリーズ3部作」の1冊目のタイトルが、
『希望とは自分が変わること』
と付いてゐます。
これは、本当にその通りだと思ふ。
希望は、自分が変わること以外にはない。希望は、自分の内側にしかない。
そのことについて、先日こんな体験がありました。
知人と話してゐるとき、その人が、
「社長の話がいつも重たいのよ。経営状況が芳しくないとか、まだまだ希望が見えないとか…」
と話すので、私が思はず、
「あなたが希望になつたらいゝんぢやないの?」
と答へたのです。
すると、その人は、
「えゝ~、そんな~」
と、いかにも私の返答が理不尽だといふやうな顔をする。
私には、いろいろ生活の悩みがあるのよ。夫婦も思ひ通りにいかない。子どもも思ひ通りにいかない。私に希望を持てと言つたつて、簡単ぢやないんだから…。
そんなふうにでも言ひたげです。
しかし、そんなふうに言つたら、社長にだつて悩みがあるのに違ひない。夫婦がうまくいかない。子どもが言ふことを聞いてくれない。さういふ悩みの上に、会社経営が思ふやうにいかないといふ特大の悩みが加はる。知人よりも遥かに多くの悩みを抱へてゐる可能性が高い。
さういふ人に向かつて、
「あなたが私の希望になつてください」
と頼むのは、頼むほうこそ理不尽ではないか。
もちろん、社長自身も、希望を持てるなら持つたほうがいゝには違ひない。しかし、他人がどんなに頑張つたところで、社長に希望を持たせることはできない。希望はその人自身が持つしかないからです。
それと同様で、私の知人も社長に希望を持たせようとするのは不可能なので、唯一できること、つまり自分が希望を持つこと以外に、すべきことはないと思ふ。
ところが、我々は往々にして、希望は自分の外にあるものと思ひ込んでゐるやうな節があります。
例へば、よくかういふ世論調査が行はれます。
「あなたは、この国の将来が今より良くなると思ひますか。それとも悪くなると思ひますか」
すると、今の日本では「悪くなる」といふ回答のほうが、大体過半以上を占める。こゝにも「希望は自分の外にある」といふ思ひ込みがあるやうに思へます。
「今の日本社会に将来的な希望はあるのか」
といふ調査だと思つて、回答者は自分の外側を見廻す。
政治はどうか、経済はどうか、社会の治安はどうか。さういつたものを見て、「希望があるかどうか」を判断しようとするのです。
ところが、これはとんだ勘違いだと思ふ。
調査は、実は、かう尋ねるべきです。
「あなたの中に、希望はありますか?」
かう尋ねられれば、人は自分の目線がやゝ内側を向く可能性があるでせう。
「えっ。自分の中に希望があるかなあ?」
と自問せざるを得なくなります。
そして、そこからよくよく考へていくと、結局、希望はその特質上、自分の外にはあり得ないといふことに気づいていくだらうと思ふ。
「私が将来の我が国に希望があると思ふかどうかは、結局、自分が自分に希望を持つてゐるかどうかといふことなのだ」
といふ結論になつていくのです。
だから、世論調査で半数以上が「日本の将来に希望がない」と答へるのは、日本人の半数以上が、自分の中に希望を持つてゐないといふことを示してゐます。
結局、
「希望とは、希望を持てなかつた自分が、希望を持てる自分に変はること」
だと言つてもいゝでせう。
さういふ自分になれない限り、我々はいつまでも「希望はどこにある?」と言ひながら、自分の外を探し求めて彷徨ひ続ける羽目になります。

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