てつこさん、最後のレッスン
母の介護は、およそ3年半に及んだ。
ほとんど病気らしい病気もせずに、90歳近くまで、母親代はりになつて孫を本当にこまめに、よく育ててくれた。その母が、90歳を前に弱り出し、昼間から布団に入つて、横になる時間がふえてきたのです。
その時期が、ちやうど私の退職のタイミングと重なつた。それで、私は退職するや否や、母の介護に専念することとなつたのです。
その母が亡くなつて、2カ月余りが過ぎた今、ときどきその3年半を振り返つてみることがある。実に思ひ出の多い、波乱の3年半だつたが、最近改めて、少し不思議に思ふことがある。
初めのうち、私は母を、
「おばあちやん」
と呼んでゐた。
歳も取つてゐるし、孫もゐるので、私もつい、自分の母をさう呼んでゐたのです。
ところが、ある時期から、それは多分、亡くなる半年くらゐ前からだと思ふが、
「てつこさん」
と、名前で呼ぶやうになつたのです。
どうして呼び方が変はつたんだらう? 何がきつかけだつたんだらう?
今年の2月か3月の頃、すでに自力歩行はできなくなつており、生活のほとんどをベッドの上で過ごしてゐたものゝ、食欲だけはあまり衰えてゐなかつた。ワンパターンの食事でも、毎回食べる度に「おいしい!」と喜んでくれるのが、私の励みだつた。
そして、食事がすむと、よく一緒に「365歩のマーチ」を歌つた。体調がよく、気分のいゝときには、一度歌ひ出すと、母はきりがない。
一回歌ひ終へると、母は、
「もう一回、歌ふ?」
と言つて、同じ歌を催促する。
発声は胸にも良いし、唯一の運動にもなると思ふから、私も誘ひを断らず、ときには私のほうから促して、繰り返し歌つたりした。多いときには、20回にも30回にもなつた。食事を15分ですませて、それから40分以上、二人で歌ひ続けるといふやうなことも、一度や二度ではなかつた。
「365歩のマーチ」は、認知症が進んだ母が、唯一そらで歌へる歌だつた。ベッドに寝たきりの母が、隣近所がうるさくはないかと心配になるほど、声を張り上げて、その歌を歌ふ。
緑内障で目も見えない。耳も遠い。足腰も立たない。そんな母の唯一の楽しみが、食事と、そのあとの歌だつたと思ふ。さう思ふと、私は40分以上延々と続く、同じ歌の繰り返しが、決して嫌ではなかつた。むしろ、母と一緒になつて、その歌に酔ゐしれるほどだつたのです。
「あゝ、あのころに、”おばあちやん”から”てつこさん”に変はつたんだな」
と思ふ。
母に対する私の気持ちが変はつたのです。
「おばあちやん」も親しみがあつて悪くないけど、「てつこさん」には、何かそれ以上のものがある。
それはなんだらう? 単に、私の母といふ人ではない。90年以上生きて来て、人生の悲喜こもごもはあつたに違ひないが、今かうして、昔を忘れ、先の憂ひも気にかけず、ただ嬉しくて、息子を誘つて、同じ歌を繰り返し繰り返し歌ひ続ける、一人の女性。
その女性は、「おばあちやん」ではなく、どうしても「てつこさん」なのだ。最も親しい、大切な女性。その人は、生まれたときから持つてきた固有の名前で呼んであげなくてはいけない。だから、その呼び方には、親しみと、尊敬と、唯一無二の価値がある。
今にして思ふと、そのころをきつかけに、私の心にひとつの風穴があいたやうな気がする。どこか固かつた、融通の利かない心に穴があいて、自由の空気が入つてきた。
「これは、かうしなければいけない」
「この立場では、かういふことはできない」
さういふ堅苦しいものが取れて、
「もつと、心の願ふまゝ、自由でいゝんぢやないか? 遠い先の希望より、今日の喜びがもつと貴重ではないか?」
といふやうな思ひが湧いて来るやうになつた気がするのです。
人は、原理原則では幸せになれない。善い悪い、正しい間違ひでは、喜びがない。やはり、愛がないとだめだ。
そのためには、心に適度の穴があいてゐないと、愛が流れない。
「その生き方は正しいのか?」
といふやうな四角四面な自問は、心の穴を塞いでしまふ。
あの3年半は、てつこさんが最後に私に施してくれた、人生の貴いレッスンだつたなと、今になつて、しみじみ思ふ。

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