「思考」がある日突然、消えた
『左脳さん、右脳さん。』(ネドじゅん)
は、なかなか面白い本です。
著者のネドじゅんさんは、自分のことを「オカン」と自称してゐますが、どつこい、並みの「オカン」ではない。分析力も筆力も、相当大した「オカン」です。
かと言つて、脳について、脳科学から分析した本ではありません。自分の実体験から、ある日突然、「思考が消えた」、その体験と、それがいかにして起こったのかを考察した本です。今の私のニーズにぴつたりの内容を提供してくれます。
最近は、この本の内容に関連する発信をYoutubeでも積極的に始めておられるので、それを見ると、さらに理解が進みます。といふか、理解が目的ではなく、「思考が消える」ことが目的なので、それに向けた実践がやりやすくなります。
「思考が消える」
と言へば、
「それつて、頭が働かなくなること?」
と思はれるかもしれない。
決して、さうではありません。
こゝで言ふ「思考」とは、
「日常で、ほぼ意識せずに、勝手に流れ続けては、頭の中を占領するエンドレスなつぶやき」
のことです。「自動思考」と言つたほうがいゝかもしれません。
そのつぶやき、誰にでもありますね。
家事をしてゐても、車を運転してゐても、誰かと話してゐても、我知らず頭の中に流れ続ける思考。この思考をとめようと瞑想などをしてゐても、却つて勢ひをます思考。
瞑想を始めた途端、
「さう言へば、なんか、お腹が減つてきたな。今朝、何食べたつけ? せやせや、トースト焼いて食べたな。それより、昼ご飯、何食べよう。また焼きそばかなあ。豚肉、あつたつけ? …」
などといふつぶやきが、瞑想を潰さうとするかのやうに、フル回転で動き出すのです。
そればかりではない。
家事をしてゐると、今日会つた人のことがふいに思ひ出され、
「あのとき、あんなことを言つてたな。私のことを悪く思つたに違ひない。どうしたらいゝだらう?」
などと、自分の中で、確かめやうもない思ひがぐるぐると回り始める。
さういふ「思考」が、あるとき、卒然と消え去つたといふのです。これには、本人も驚いた。最初は事態が呑み込めなかつた。
例へてみれば、今まで大音量で鳴つてゐたテレビが、急にぷつんと切れて、突然の静寂が訪れたやうな感じ。
そのときの感覚は、
① 意識が大きく広がつた感じがし、
② 見える景色の透明感とキラキラ感がすごい
と表現してゐます。
そのあと、遅れて、感動が体を突き抜けた。
「わたしが、世界に、帰ってきた。いままで、いるようでいなかったんだ。帰ってきた、ここに、身体のなかに」
その体験から、すでに6年あまり。基本的に、思考は静かなまゝださうです。
これをネドじゅんさんは、「一種の悟り」と考へてもよささうだと考へてゐます。とにかく、それまでのストレスがほぼなくなり、その代はりに、それまでなかつた平和感、幸福感がづつと続いてゐるといふのです。
6年前の突然の変化は、一体どういふことだつたのか。それをネドじゅんさんは、かう解析してゐます。
「脳の、思考の神経回路から、直観の神経回路へ、大きな切り替えが起こった」
思考の神経回路が左脳、直観の神経回路が右脳に、それぞれ該当します。それまで左脳優位だつたのが、一瞬で右脳優位に切り替はつたといふことです。
ネドじゅんさんは、一人の人間に三つの意識が共存してゐると考へます。
① 意識の焦点さん
② 左脳さん
③ 右脳さん
の三名です。三つとも機能意識なのですが、擬人的に捉へてゐます。
この三名について詳しく紹介すると長くなるので、割愛します。どうしたらスイッチが切り替はるのかもふくめ、興味のあるかたは、是非とも本書を手に取つてご一読ください。
私が本書に興味を引かれるのは、私自身も「思考」を何とか消したいと渇望してきたからです。ところが、これがなんとも容易でない。それで、「アニコミ」(アニマルコミュニケーション)を学んでみたり、「アノコミ」(あの世とのコミュニケーション)に挑戦したりしてゐるのですが、これらはみな、「思考を消す」といふ一点でつながつてゐるのです。
「思考」を担当するのが、左脳さんです。この意識は「言葉」を駆使して、人間同士のコミュニケーションをとり、この世のルールを作つていく。「過去」と「未来」に飛ぶのは得意な反面、「今、こゝ」に留まるのが苦手です。
しかし、「今、こゝ」に留まらない限り、「アニコミ」も「アノコミ」も難しい、といふか、ほぼ不可能なのです。左脳偏重の人間には、この「今、こゝ」がとても高いハードルなのです。
「アニコミ」を学び出して、約3ヶ月。本書に出会つて1ヶ月あまり。実践していくにつれて、「私といふ意識」(本書で言ふ「意識の焦点さん」)が、頭のてつぺんから、少しづつ下に降りてきてゐるのを感じます。今やつと、鼻から喉の辺りです。これが胸のあたり(こゝをネドじゅんさんは「意識の座」と呼んでゐます)まで降りると、「思考」がだいぶ消えるのではないかと予想してゐます。
こゝでいふ「思考」は、ほぼ無意識のもので、これは脳を使つた肉心の働きではないかと思ひます。肉心はこの世を生きることに特化した機能であり、その点では非常に優れたものですが、反面、「今、こゝ」が苦手です。だから、神霊を感じたり、良心が作用したりするためには、弊害となる場合が多い。
今後どこまで行けるか。ネドじゅんさんのアドバイスに従つて、なほ進んでみたいと思ひます。

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お久しぶりにお邪魔します。
私も勝手に思考が湧き出てきます。
もう何年も前の出来事を、急に思い出したりしては悩みます。
ご紹介下さった本はおもしろそうですね!
読んでみます。