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中東の「ペインボディ」を癒す

kitasendo
2023-10-12

10月7日の早朝、ガザのハマスが突如イスラエルを攻撃し、両者が戦争状態に入つてゐます。死者は、12日現在、双方ですでに2300人を超えたやうです。

ハマスに比べれば圧倒的な戦闘力を持つイスラエル側のガラント国防相は、地上作戦をふくむ総攻撃に移行すると言ひ、
「ガザが以前に戻ることはない。1日ですべてを撲滅する。1日でできなければ1週間で、1週間が無理なら1ヶ月で、すべての場所に到達する」
と、軍隊に向けて檄を飛ばしてゐます。

エックハルト・トールの言ふ「ペインボディ」について、考へずにはおれません。

トールは『
ニュー・アース』の中で、
「どんな集団、民族、国家も、集団的ペインボディを抱へてゐる」
と診断してゐます。

「ペインボディ」とは、痛みの記憶ですね。過去に被つた傷や痛みのために、その記憶が長い間消えずに、エネルギーのやうな形で自分の中に残つてゐる。それが折にふれて蘇り、自分の意識を乗つ取るやうにして、さらなる痛みを求めるのです。

「集団的ペインボディ」とは、痛みの記憶を集団全体で共有してゐるといふことです。

痛みの記憶を持たない民族も国家もないのですが、トールの実感では、中東の集団的ペインボディはあまりにも強いといふ。そのために、暴力と報復といふ狂気の際限のない悪循環として行動化せずにはおられず、その悪循環の中でペインボディはさらに肥え太つていくといふのです。

今回の事態を見ても、トールの診断を否定できない気がします。

紛争、戦争には、もちろん、政治的・経済的、あるいは思想的・宗教的な原因もあるでせう。しかし、それだけでは説明しきれない何かはあるやうな気がする。

ペインボディから解放されるには、それを癒す必要があります。現実に人々は、無意識のうちに、癒すための行動をとるやうです。

例へば、ドイツや日本は先の大戦で相当な痛みを負つたのですが、その後、急速に経済復興を成し遂げた。国民の多くが一所懸命に働いたのです。その働き方は、ある意味、自らのペインボディを癒すためであつたと、トール言ひます。

仕事に没頭することで過去の痛みを忘れようとし、さらには経済的に豊かになることで痛みを消し去らうとした。確かに、そのやうに考へても、おかしくはない。

ペインボディを癒す方法は仕事以外にもあつて、国によつては、アルコールへの寛容さによつて、痛みを和らげようとする場合がある。あるいは、中国で太極拳が広がりを見せたのも、痛みを和らげようとする無意識の作用だつたと、トールは分析してゐます。

仕事、アルコール、太極拳。これらの共通点は何でせうか。

それは、
「思考を減らして、『今に在る』といふ感覚を生み出すこと」
です。

トールによれば、これがどうも、ペインボディへの養分を断ち切る、ベストな方法のやうです。

なぜなら、ペインボディの痛みは、過去の記憶に起因する。つねに過去の記憶が蘇るたびに痛みを感じ、その痛みを何とかしようとして、結果的に、さらなる痛みを求めてしまふのです。

だから、過去の痛みがさらに新しい痛みを求めてしまふ、その負の連鎖を断ち切るために、「今に在る」。過去から自分を切り離してしまふ必要があるといふのです。

戦争終結のために、政治家ができる仕事もあるでせう。軍事関係者や情報分析の専門家が担へる役割もあるでせう。

しかし現状を見る限り、さういふ人たちの活動は、事態を根本解決してゐるやうには見えない。分析官の提言によつて政治家が動き、和解交渉が成立したかに見えたとしても、いづれそのうち、どちらかともなくその和解内容を破棄して、再び戦争状態に回帰してしまふ。

所謂「怨念」のやうなものは、対立する双方にあるのに違ひない。それが消えない限り、一時的で表面的な和解が成り立つたとしても、それには永続性がないでせう。

その怨念は、どこから生まれてくるかと考へると、ペインボディから。それは個人的なものであると同時に、集団的なものでもあり得る。集団的無意識のやうに、深いところで多くの人が互ひにつながつてゐるといふ考へです。

すると、中東から遠く離れて、一見彼らには無縁と思ふ、一人の庶民にすぎない私にも、できることがあると思へてきます。しかも、大勢の庶民が一斉に取り組むなら、長い目で見て、米国大統領以上の働きができる可能性さへあると思ふ。

それが何かと言へば、
「思考を減らして、『今に在る』」
ことです。

つまり、一人一人が、自分の中のペインボディを癒す。あるいは、ペインボディから解放されることです。

集団的ペインボディとは、同じ一つの痛みの記憶に集団全体が縛られてゐるといふことですから、解放はその逆を行きます。一人一人が自らを解放することによつて、集団全体を解放するのです。各自が、自分の内なる状態に、自分で責任を取るといふことです。

その方法は、単なる仕事でもアルコールでも、月並みな太極拳でもない。もつと、自分の内面に深く入る作業です。

この地上での悪行の犯人はたった一人しかない。人類の無意識だ。そこに気づくことこそが、真の許しである。ゆるしによって、被害者というアイデンティティは消え、真の力が生まれる。「いまに在る」という力だ。闇を非難するよりも、光をもたらすべきなのである。
(『ニュー・アース』エックハルト・トール)

今現在、戦禍の中で呻吟する人たちに、それを願ふのは酷なことだし、また無理な話でもあるでせう。だつたら、今は戦禍の外にゐる者たちがその役を分担しよう。

私が「今に在る」ことだけで、今のあの激しい、血みどろの戦闘をとめることなどできるわけがない。何はともあれ、具体的な行動が必要だ。我々に定着した、さういふ感覚からすれば、トールや私の言ふことは、きわめてナイーブな発想に見えるかもしれない。

行動は、もちろん必要でせう。しかし、それだけでいゝのか。

トールがなぜ、「今に在る」ことの価値を、それほど高く評価するのか。そもそも、「今に在る」とは、どんな状態か。どうしたら「今に在る」ことができるか。それについては、これまでも断片的に記事にしてきましたが、これからも、おいおい煮詰めていかうと思ひます。

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Admin:kitasendo