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願はない「引き寄せの法則」

kitasendo
2023-10-09

先日の記事「まづ最初に『引き寄せる』べきもの」で書いたのですが、そのあと、考へれば考へるほど重要なことに思はれてきたので、改めて書くことにします。

その記事の趣旨は、
引き寄せの法則が作用するには、二段階ある」
といふことでした。

第一段階が、
「『外なる私』が『内なる私』に引き寄せられる」
こと。

そして、第二段階が、
「第一段階で「私」が修復された度合ひに応じて、外部のものが引き寄せられる」
ことです。

今や、「引き寄せの法則」は「重力の法則」以上に広く認知されてきたとも言へるほどで、それに関する本は膨大な数にのぼつてゐます。それらの本を、もちろん、私は読み尽くしたわけではないが、少なくとも、私の認識では、引き寄せの法則には第二段階のほうに重点があるやうに考へられてゐると思つてゐたのです。

富にしろ、成功にしろ、恋人にしろ、それらを引き寄せるには、「私」が強く願はなくてはならない。その願ひの強さ、純粋さの度合ひによつて、法則の作用が左右される。そんなふうに思つてゐたのですが、どうもこの法則の本当の眼目は、むしろ、第一段階にこそある。『実践、引き寄せの法則』を素直に読めば、そのやうにしか思はれないのです。

少し極端に言へば、引き寄せの法則の意味は、第一段階にのみあり、それさへ為されれば、あとは何も「願ふ」必要などない。その法則は、私が意識して願はずとも、自動で無意識のうちに作用する。さういふ結論に至つたのです。


そこで、第一段階とは一体どういふものか。それについて、改めて考へてみませう。

「外なる私」と「内なる私」。厳密に言へば、この用語は、同書の中では使はれてゐない。使はれてゐるのは、「内なる存在」「拡大された私」などと言つた表現です。それを私なりに、把握しやすい概念に少し手直ししてみたのが、二人の「私」なのです。つまり、「私」の基本構造は、二人の「私」から成る二重体だと言つていゝでせう。

「外なる私」とは、端的に言へば、「肉体を持つた私」です。この「私」は肉体を維持するために、食べなければならず、寝なければならない。ただ、その機能の90%以上は、脳の指示と自律神経の働きによつて、自動的に、無意識のうちに遂行されてゐます。

一方、「内なる私」とは、「霊としての私」あるいは「意識としての私」です。この「私」は肉体を持たないので、その維持に関はる機能がない。その代はりに、時空間のない、愛と感謝の至福の中で生きてゐます。その栄養源は、「外なる私」が肉体生活を通して作り出す見えないエネルギーと、神から供給される無尽蔵のエネルギーです。

「外なる私」は三次元空間の中に生きてゐるので、つねにさまざまな環境の変化から自分を守らねばならないと腐心する。そのために、時間の概念を利用して、過去の体験のデータを蓄積し、逐次それを活用して、未来の危機に備へようとします。

さういふ「外なる私」の指向性を指して、同書は、
「カヌーの舳先を上流に向けて、つねにオールを力いつぱい漕ぎ続ける」
と表現するのです。

「より強くならねば。そのためには絶えず努力が必要だ。努力した者には必ず報酬があるはずであり、もしこの世でそれが得られなければ、あの世で待つてゐるはずだ」
と考へるのが、「外なる私」の癖になつてゐます。

例へば、私が何かの重い病気だと診断されたとします。

そのとき、「外なる私」はその事態に抵抗して、
「なんとしても、私はこの病気を克服するぞ。負けるもんか」
と、自分を精一杯奮起させようとする。

これが「外なる私」にとつての常識であり、ここで頑張らなければ川の流れに流されてしまふと恐れるのです。

しかし、「内なる私」は、そちらの方向(上流)に真の解決も幸福もないと知つてゐる。

だから、
「舳先を下流に向けて、流れに沿つて下りなさい。そこに解決と幸福があります」
と、「外なる私」に呼びかけるのです。

しかし、その意味を、「外なる私」はなかなか呑み込めない。「内なる私」の呼びかけは、どういふ意味なのでせうか。

「舳先を下流に向けよ」
とは、事態に抵抗するな、といふことです。

「流れに沿つて下れ」
とは、まづは事態をそのまゝ受け入れよ、といふことです。

病気になつたことが私の人生にとつて川の流れであるなら、それには、必ずさうなるべき意味があるはずなのです。

そこで、事態に抵抗して、いたずらに頑張つて治さうとするのではなく、
「病気になつたことは、私にとつて、どういふ『良い意味』があるのだらうか」
と考へてみる。

よくよく考へてみると、
「長年続いた、超多忙な仕事から解放されて、自分自身の人生をじつくり見つめ直す時間ができた」
といふやうな「良い意味」に気づくかもしれない。

それは思ひ方ひとつなのですが、それでも実は確実に、下流に下つてゐるのであり、下流のどん詰まりにゐる「内なる私」に一歩二歩近づいたのです。

なぜなら、「内なる私」には元から愛と感謝だけがあり、不安がない。「外なる私」が目の前の事態に「良い意味」を一つ見つける度に、不安が減り、感謝が増えるから、確実に「内なる私」に近づいてゐると言へるのです。

このやうなプロセスを繰り返しながら、「外なる私」が徐々に徐々に「内なる私」に近づいて行き、段々と融合一体となる。

それを、
「『外なる私』が『内なる私』に引き寄せられていく」
と表現できるでせう。

そしてこれこそが、「引き寄せの法則」の核心部分です。

この引き寄せがなされれば、どうなるでせうか。「外なる私」と「内なる私」が融合した本来の「私」、二人の「私」が引き裂かれてゐた状態から修復された「私」になれば、あとは放つておいても、その「私」に見合つたものが自動的に引き寄せられてくるはずです。

だから、「引き寄せの法則」とは結局、引き裂かれたまゝの「私」が強く願ふことではなく、二人の「私」を引き寄せることに尽きると言つていゝ。むしろ、焦つて下手に願はないほうがいゝとさへ言へます。

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