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シナリオを捨てる

kitasendo
2023-10-06

少し古い話になりますが、昨年7月、第167回芥川賞の発表があり、高瀬隼子(たかせじゅんこ)さんが『おいしいごはんが食べられますように』で受賞した。そのとき、候補に挙がつた5作品が、1935年の同賞創設以来初めて、すべて女性作家であつたこと、しかも同時開催の直木賞の受賞者も女性であつたことが話題になつたやうです。

私自身、最近ほとんど小説に興味がないので、そんな話題も知らなかつた。偶々、Youtubeの動画でその話題を知つたにすぎないが、そのときのテレビ報道の仕方がいかにもテレビらしいといふ指摘を面白く思つた。何が面白いか、少し書きます。



受賞決定の経緯などを、選考委員の
川上弘美さんがひと通り説明すると、メディアからの質問が始まり、最後に某テレビ局の女性スタッフが手を挙げた。そしてその質問が、実に執念深い。

質問の趣旨は、
「受賞作品の選考に当たつて、どんな世相を反映したのか」
といふことです。

つまり、芥川賞が創設された当時から長い間、受賞者は男性優位であつた。ところが、時代の変遷とともに女性受賞者が徐々に増え、何と今回初めて、候補者も受賞者もすべて女性になつた。世の中全般の「女性進出」といふ世相が、選考にも影響したのではないか。それに対する何らかの肯定的なコメントを、何とか引き出さうとしたやうなのです。

ところが、川上さんは「そんな影響はない」と、素つ気なく答へる。

「女性とか男性とか、一言で言つてしまふと、それはもう小説的ではないので…」
と言ふわけです。

その答へに満足できない女性スタッフは、言葉を替へながら、何度も似たやうな質問を繰り返す。

あまりのしつこさに、川上さんは、最後には憮然として、
「男性女性の数といふ統計的なものに対してコメントしてくれといふのは、私には違和感がある」
と言つて、回答を終了した。

この一連のやり取りはどういふことかといふと、テレビ局には初めから「シナリオありき」だつたのです。

「女性の進出によつて、男性優位の社会構造は徐々に崩れて来て、遂には文学の世界にまで、その現象が現れて来た」

このシナリオで番組を作らうとしてゐるので、その流れに沿つたコメントを引き出さうと、女性スタッフは執念深く選考委員に食ひ下がつたと見られるのです。

「シナリオあきり」の報道姿勢。これを動画の語り手は「テレビ局のあるある」だと言ふのですが、どうしてこんなふうになるのでせうか。

シナリオとは、ドラマや芝居の脚本で、場面の構成や人物の動き、セリフなどを書き込んだものです。シナリオは人の頭が作り出すもので、起承転結がある。そしてドラマはそのシナリオ通りに展開して、シナリオ通りの結末を迎へる。シナリオが最初にあり、それに沿つてドラマを作らうといふ約束なのですから、当然です。

ところが、今目の前で展開してゐる現実は、誰かの頭の中で構成されたものではない。それを起承転結のあるドラマとして見ようとすれば、あとから作つたシナリオに現実を合せるしかないでせう。

ニュース報道は、このやうに、後づけであらうと、シナリオを作るしかないと考へる。なぜなら、目の前の現実は何十年にも及ぶ長い時間の流れの中で変遷してきてゐるのに、報道はそれを、長くてもせいぜい数十分の短いストーリーにまとめなければならないからです。

このことを、養老孟司さんは、こんなふうに言つてゐます。

環境を作らうとしてゐる。受け入れようとしないんですよ。人間は意識中心で生きてゐるから、頭の中で生きてる。さうすると、頭の中と同じやうに外の世界をアレンジするわけ。世界が頭の中になつちやつたのが都会ですね。頭の中つてのは、ものごとが思ひ通りになる世界。(それで)思ひ通りにらないと、怒つてるわけです。



これはそのまゝ、ニュース報道を作るテレビマンに当てはまるが、同時に、広く我々全員にも当てはまると思ひますね。

我々も、環境(現実)を自分の思ひ通りに作らうとすることに一所懸命なあまり、まづそれを受け入れようといふ考へがない。頭の中では自分の思ひ通りのシナリオをいくらでも作れるが、外の世界でもそれができると思ひ込んでゐる。

それで、外の世界が思ひ通りにいかないと、
「どうして私の思ひ通りにいかないんだ」
と、勝手に怒る。

都会は曖昧なことを極力排除しようとする。予測不能なことをできるだけ減らさうとする。曖昧で予測不能なことに、我々の頭はなかなか堪え切れないのです。

テレビマンだけでなく、我々も、頭の中のシナリオをできるだけ捨てるほど、生きる楽しさが増すと思ふ。

不慮の事態に遭遇したとき、
「なぜ、私にこんなことが起こったのか?」
と考へて、その原因を探すやうなことをしない。

ただ、
「私はこの事態を、そのまゝ受け入れることができるだらうか。喜べるだらうか。感謝できるだらうか」
とだけ自問する。

それが、この世を生きる醍醐味ではないだらうか。

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