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まづ最初に「引き寄せる」べきもの

kitasendo
2023-10-03

『実践、引き寄せの法則』(エスター&ジェリー・ヒックス)を読み進むにつれ、「引き寄せの法則」に対する従来の自分の見方に修正がかかつてきたのを感じます。
(本書の内容については、記事「『感情』とは何か」を参考にしてください)

これまで「引き寄せの法則」といふと、
「強く、心の底から願へ。ビジュアルにイメージして願へ。あることを願ひながら、心の底では『無理だらうな』と思つてゐたら、その本音のほうが事態を引き寄せてしまふ。だから本心から願はなくてはならないのだ」
といふくらゐに理解してゐたのです。

ところが本書を読むと、願ふことの第一は、今の自分(「外なる私」=肉体を持つた現実の私)本来の自分(「内なる私」=神の似姿である霊としての私)により接近すること、最終的には一致することだといふことが分かる。今のまゝで私(「外なる私」)が何かを願つたら、その私に見合つた、つまらないものしか引き寄せられない。

だから、できるだけ「内なる私」に近づかうとする。近づけば近づくほど、自動的に、それに見合つた、よりよいものが引き寄せられる。こゝに、引き寄せの法則の眼目があるやうに思はれてきたのです。

本書が俎上に載せてゐる実例の中から、一つを取り上げてみませう。

1年ほど前に姉と喧嘩をして、それ以来一度も口をきいていないといふ女性です。喧嘩をしかけたのは姉のほうで、こちらの言ひ分はまつたく聞き容れてくれなかつた。姉はいつも、自分だけが正しいと思つてゐる。頑固で変はらないから、譲るのはいつも自分のほうだ。不仲のまゝでゐるのは嫌だけど、あのときの腹立たしさを思ひ出すと、どうしてもこちらから連絡したくない。

さて、この女性は、どのやうに引き寄せの法則を賢明に応用できるでせうか。

まづ、今の自分(「外なる私」)がどこにゐるのか、現在位置を確認する必要があります。

「姉が仲直りしたければ、向かうから電話すればいゝ。私はこのまゝ姉と絶交してゐるほうが幸せだ」
といふのが、彼女の「現在位置」です。

この位置で引き寄せの法則が働くと、「姉との不仲の継続」といふ事態しか引き寄せられないことは明らかです。

そこでエイブラハムは、彼女にかうアドバイスを始める。

「『外なる私』であるあなたが望んで望まなくても、『内なる私』であるあなたは、姉を愛してゐる」

つまり、「内なる私」には、どんな場合でも、「愛」と「感謝」しかないといふのです。だから、どんな理由であれ、「外なる私」が誰かを愛せないでゐるとき、私は「引き裂かれる」のです。

「内なる私」が愛するのは、肉親の姉だけではない。邪悪な独裁者でも、自分を捨てた恋人でも、例外なく愛する。

「邪悪な独裁者」まで出せば、話はややこしくなるやうに思はれます。しかし、言ひたいポイントは、かういふことです。

「姉は頑固だから愛せない」「独裁者は邪悪だから愛せない」と言へば、それは、自分が愛せるかどうかを、相手がコントロールしてゐることになる。つまり、「頑固をやめれば愛せる」「邪悪も独裁もやめれば愛せる」と言つてゐることになるわけです。

しかし、
「自分がどう感じるか、誰を愛せるかは、自分でコントロールできることを思ひ出せ」
と、エイブラハムは言ふのです。

お姉さんとの関係について言へば、エイブラハムの言ひたいのは、かういふことです。

「お姉さんと仲直りをしたいと思ふのなら、その前に、あなた(「外なる私」)が自分自身(「内なる私」)とまづ仲直りして、完璧に調和できる考へ方を見つけ出しなさい」

「内なる私」にはもともと、「愛する」といふ道しかないのですから、「外なる私」が「内なる私」と仲直りし調和するためには、愛するといふ選択肢を取るしかないのです。

それで、例へば、かういふ考へ方を見つけ出してみます。

「姉に責任を押しつけるのは、もうやめよう」
「あとで電話してもいゝかもしれない。しないかもしれないけど」

これで、わずかながらでも、「内なる私」に近づいた感じがしますね。しかしそれだけでも、気持ちが前向きで明るくなるのが感じられます。それは確かに、「内なる私」に近づいた証拠なのです。

このやうにして、「外なる私」が「内なる私」に引き寄せられていく。これが「引き寄せの法則」の第一段階です。

「内なる私」に近づき、引き裂かれてゐた私が修復されていくにつれ、その修復された度合ひに見合つた良いものが引き寄せられてくるやうになる。これが第二段階です。


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