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尊徳さんは薪を背負つてゐる

kitasendo
2023-09-20 100240  

解剖学者・養老孟司さんがトーク番組で、
「八重洲ブックセンターの店先には、二宮尊徳の像が立つてゐる」
と話すのを聞いて、確認してみました。

GoogleMapで探すと、確かに立つてゐますね。昔の学校の校庭にも立つてゐたので、懐かしい気がします。

ところで、なぜ本屋の店先に尊徳さんの像を建てるのか。それは言ふまでもなく、本を読んでゐるからでせう。歩きながらでも本を読んでゐる。我々もそれに見習つて、一所懸命本を読み、勉強して知識を増やせば、いゝことがありますよ。さういふ本屋の意図が推察されます。

ところが、こゝで養老さんは思ひがけない方向に話を振るのです。

みんなはあの像を見て、尊徳さんは本を読んでゐると思つてゐるけど、実は薪を背負つてゐるんですよ。

一瞬、えっ?と思ひますね。確かにそれは間違ひないのですが、養老さんは何が言ひたいのか。

尊徳さんは歩いてゐる。何のために歩いてゐるかと言ふと、本を読むためではなく、薪を運ぶためである。薪を運ぶのが主たる目的だが、手が空いてゐるので、その時間を使つて本を読んでゐる。

それなのに、多くの人は薪を背負つてゐるところが見えないで、本を読んでゐるところだけが見える。でも、そのときの尊徳さんにとつてどちらが大切だつたかと言へば、薪のほうだ。養老さんが言ひたいのは、そのことです。

養老さん自身は『バカの壁』が400万部以上売れた稀代のベストセラー作家でもあります。しかし、それは尊徳像で言へば、本を読んでゐるほうなのです。それが自分の実人生ではないと、養老さんは思ふわけです。

そのことを養老さんは、
「大切なことは言葉にならない」
と表現する。

これは『養老孟司の大言論』3部作の3冊目のタイトルにもなつてゐます。こゝでいふ「大切なこと」とは、薪を背負つてゐる尊徳さんの実人生です。


私は、歩きながら本を読んでゐるのも尊徳さんの実人生の一部だと思ふ。多分、当時薪を背負ふ多くの人は、背負ひながら本を読まなかつたでせう。ただ薪を背負ふことだけにあくせくしてゐた。だから、尊徳さんは同じ仕事をしながらも、他人にできない偉業を成し遂げた。

そのことは、養老さんもよく分かつてゐるに違ひない。分かつた上で、薪を背負ふことの意味を強調したいのだと思ふ。

それなら、薪を背負ふ実人生とは、一体何でせうか。文字通り、「言葉にならない」ことです。

例えば、毎日ご飯を食べる。毎日子どもの世話をする。毎日家族を養ふために仕事をする。

それらは、いちいち言葉にならないでせう。しかしそのひとつひとつに心を籠めるならば、私の実人生で掛け替へのない、大切なことになるのです。逆に言へば、さういふ言葉にならない実人生が充実してこそ、そこから出てくる言葉が初めて力あるものになる。実人生の土台の脆弱な言葉は、概念に過ぎない。

さう考へると、あの尊徳像はよく考へられてゐます。彼が書斎で本を読んでゐるなら、何のインパクトもない。薪を背負ふといふ実人生の上で本を読んでゐるので、学校ばかりか、令和の本屋でも意義を発揮して建立されるのでせう。



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Admin:kitasendo