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〈わかりあえなさ〉の自覚

kitasendo
2023-09-15 170438

DISTANCE.mediaの関連で、もうひとつ。〈わかりあえなさ〉について取り上げてみます。

DISTANCE.mediaが開いたセミナーの中でプレゼンターとして壇上に立つたスタッフのひとり(女性)が、かういふ自分の体験を告白してゐます。

結婚して2,3年目のころ、ある議論サークルで、
「夫と話せば分かると思つてゐたのに、分かり合へないんです」
と発言したら、他の参加者から、
「あなた、新婚ですね」
と言はれた。

結婚生活10年以上の参加者から
「絶対に分かり合へませんよ」
と言はれて、結構ショックを受けた。

さういふ体験です。これはどういふことでせうか。

夫婦としてお互ひの距離感が正しく取れてゐなかつたといふことです。それは〈わかりあえなさ〉の認識が甘かつたからでせう。

夫婦関係ばかりではない。我々はふだん、いろいろな関係でお互ひがいかに〈わかりあえてゐない〉かを、あまり自覚しない。服の気持ちも分かつてゐないし、人の気持ちも分かつてゐない。それなのに、分かつてゐるつもりで何気なく接してしまふのです。

しかし、〈わかりあえなさ〉は必ずしも、悪いことではないと思ふ。必要なのは、実際どのくらゐの〈わかりあえなさ〉があるかを、ありのまゝに自覚することです。

女性は体験談を語つたあと、かう述懐してゐます。

そのこと(話し合つても分かり合へない)を受け入れたら、適度な距離感が取れるやうになつてすつきりしたのと、分かり合ふことよりも、その人の世界はありのまゝ尊重して、相手に対して自分がどう接していくのか、愛情に対する「姿勢」といふものがじつは大切なんぢやないかと思ふやうになりました。

「分かり合へる」といふことが、むしろ幻想だつた。幻想とは、頭で考へた概念です。それが変だとは薄々分かつてゐたのに、無理矢理頭で否定してゐた。しかしそれを捨てたら、気持ちがすつきりして、夫との適度な距離感が取れるやうになつた。そして、概念よりも「愛情に対する姿勢」が大切ではないかと気がついたといふのです。

つまり自分が本当に望んでゐたのは、「分かり合へる」ことではなく、愛情で接することだつたのです。

相手には未知の部分がたくさんある。でもさういふ相手と、これからも一緒に生きていきたいと思ふ。あるいは、毎日一緒にご飯を食べることが嬉しい。相手のことなんてすべて分からなくてもいゝんぢやないか。さういふ気づきを得たのです。

〈わかりあえなさ〉は、夫婦関係に限らず、あらゆる関係にあるものでせう。少なくとも我々人間は、誰もが「私の中の世界」を持つてゐて、その世界には他人が入り込むことができない。その前提の上で、関係を結ばうとするのです。

我々は得てして、「分かり合ふ」ことに拘り過ぎているのかもしれない。

「この思想、この主義を共有できない者とは一緒におれない」
と言へば、対立が深まり、分かり合へることはさらに遠ざかる。

そんな概念に拘るよりも、「愛情に対する姿勢」「心の中から湧き上がつてくる感情」などと言つた「生の気持ち」に、もつと意識を向けてみたらいゝのではないかと思ふ。

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