あなたは、実はもうできてゐる
前回の記事「『アニコミ』と『アノコミ』」で、
「どちらのコミも私にはできない」
とか
「ぽかんと心を空けることができない」
とか書いたのは、いかにも「概念の人」である私らしいことに、あとになつて気がつきました。
気づかせてくれたのは、アニコミの初心者指導動画です。
習ひ始めの生徒さんが、
「どうしても相手から思ひが伝はつてくるといふ感じがしないんです」
と言ふ。
するとプロの先生が、
「伝はつてくるのを待つのではなく、こちらから取りに行くのです」
と言つて、何でもいゝから10秒以内に、伝はつてきたものを言葉にしてくださいと、生徒を追ひ込むのです。
やゝ無茶ぶりなその指導を見ながら、私もすぐ目の前の愛犬を相手に取りに行つてみる。しかし、10秒はあまりに短い。明確な思ひなど伝はつてくるやうには感じられません。
動画の中の生徒さんも戸惑つてゐる。しかし何とか一言でも言葉にしようと、必死になる。私も必死になる。
それで、
「あゝ、これだな」
と悟るものがあつたのです。
「私には、これができない」
といふのは、私の「肉心」がしてゐる思考なのです。
「肉心」は時空の中に生きてゐて、基本的に自己の保護発展を任務としてゐます。それで過去のデータベースから現在の最適解を見出さうとし、未来をより安全なものにしようとします。
その思考法は、つねに自分を相対化し、他人との関係、環境との関係において自分がどう振る舞へばいゝかと考へる。自分の利益を考へたり、他人からの評価に重きを置いたりします。
さういふ肉心にとつて、「私には、これができない」といふのは、ごく当たり前な考へです。「だつて、実際できてないんだから」といふことです。
しかし、プロの先生はそこを鋭く突いたのです。
「あなたは、実はもうできてゐる」
と、肉心にではなく、生心に訴へたのです。
すると、肉心は「えっ! そんなはずはない」と否定してくるのですが、生心は「さうなんだ! ほんとにさうかもしれない」と思ふ。それで、10秒以内に答へを見つけようと必死になるのです。
そして必死になると、何かが見つかるやうな気がしてくる。肉心は「そんなの、自分の思ひ込みだよ」と主張するが、生心は「さうだつたとしても、それでいゝぢやないか」と受け入れる。
考へてみると、我々の日常生活の大半は、肉心が優位なのです。
「今の自分には、こゝまでが限界だ。これ以上はできない」
「こんなことは、これまでの自分に合はない」
「あの人はかうあるべきで、私はかうあるべきだ」
「これこれが達成できないと、私は幸福になれない」
かういふのがすべて肉心の考へ方です。これらの考へは、一見理に適つてゐるやうに見えます。過去の体験や知識のデータベースに基づいてゐるからです。
しかし、さういふ考へ方が自分を縛つてゐるといふことに気がつかない。自分の本質は肉体ではなくスピリットだといふ真実を見えなくさせてゐるのです。
スピリットである自分は、やりたいと思つたことはすべてできる。それが、スピリットそのものの在り方だからです。
動画を観ながら、私は愛犬に、
「君は私のことが好きかな?」
と(少しドキドキしつゝ)訊いてみました。
すると、10秒以内に(無理矢理?)返つてきた答へが、
「そんなの、言ふまでもないぢやん」
といふものでした。
この答へは真実か。私の勝手な思ひ込みの可能性はないのか。その可能性はあるかもしれない。しかし、はつきり否定もできないでせう。それでいゝのだと思ふ。少なくとも、こゝにスピリットへの入り口があると思ふのです。

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