「アニコミ」と「アノコミ」
聖和家庭会が季節ごとに発行する『聖和』の通刊17号に載つてゐた体験談「夫からの意外な言葉」。
このご主人は30年近くも前に亡くなつてゐます。残された奥様がそのご主人との交流ノートをつけ始めて、約3年。こちら側からご主人に問ひかけるノートを書くと、ご主人から返事が返つてくる。その内容は意外なことが多いといふのです。
この体験談を読みながら、私はこのコミュニケーションを
「アノコミ」
と名づけてみました。
アニマルコミュニケーション(動物と話す)を「アニコミ」と略称するやうに、「あの世」とのコミュニケーションだから「アノコミ」。「アニコミ」と「アノコミ」とは、基本構造が同じだなと思ひます。
どういふところが同じか。体験談の終はりに、かう締めくくられてゐます。
自分の思いや願いが強すぎるときは、霊界が働くことが難しいと思います。心と心の交流ですから、心をぽかんと空けて臨まないと、本当の答えは来ないと思います。 |
確かにこのポイントが、二つのコミの要諦でせう。
今のところ、私はこの二つともできないので、あまり書く資格もないのですが、逆になぜできないかを証言できると自分を励ましながら、この記事を書いてゐます。
二つのコミに挑戦してきてはゐるのですが、私にはなかなかできない。なぜできないかと考へると、「自分の思ひや願ひが強すぎる」からなのです。
体験談の夫人も、最初は半信半疑だつたやうです。夫からの返事と言つても、実際には夫人が書くのです。それが本当に夫からのメッセージなのかどうか、疑つても当然でせう。
しかしその返事の内容をよく見ると、自分からは出て来さうにないアイデアが多い。それで結局、「やはりこれは夫が書いてゐるのか」と思はざるを得なくなつたといふのです。
どんな返事が返つてくるのか。いくつもの体験談の中から、一つだけご紹介しませう。
新婚旅行のときに、男の子と女の子が対になつたこけしを買つてきた。これは大切な記念の品だから死ぬまで大切にしないといけなと、夫人が思つてゐたのに、ご主人の考へはまつたく違つてゐた。
あのこけしは、あのときの僕たちの理想の姿だったんだよ。でも今はもうその理想を達成したから、こけしの使命は終わった。もう処分していいよ。 |
この返事は、本当にすつきりしてゐますね。夫人には過去の記憶による拘りがありますが、ご主人にはそれがない。
この「拘り」が「強すぎる自分の思ひや願ひ」です。しかし、拘りがありながらもご主人の返事を聞き取れたのは、一瞬であつても、夫人がその拘りを手放すコツを掴んだからではないか。さう推察します。
前回の記事「概念は肉体に宿り、感覚は霊人体に属する」で書いた通り、肉心は休むことなく思考し続けます。しかし思考を続けてゐる間は、動物の声も霊界の声も聞こえない。雑音が大きすぎて、かすかな声が聞き取れないのです。
「肉心の思考」はさまざまな概念を作り出します。私の場合はこの概念に絡み取られて感覚が麻痺し、テレパシーとも言ふべきスピリチュアルな声が聞き取れないのです。
夫人の言葉を借りれば、「心をぽかんと空ける」ことができない。過去の記憶から解放されて、「今」にあることができない。
心をいかにしてぽかんと空けるか。心の中の思考の言葉を削除して、いかに静かな心の空間を作るか。私はいまだに、そのコツを掴み切れてゐません。それが私の最大の課題なのです。

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