fc2ブログ
line-height:1.2;

水族館の河豚体験

kitasendo
2023-08-20

前々回の記事「詩人金子みすゞと彼女の時代」から随分日があいてしまひましたが、みすゞ記念館を訪ねた翌日の体験についても書いてみようと思ふ。

記念館を訪ねたあと、そのまゝ足を延ばして下関まで行き、駅近くのホテルに一泊した。翌朝、近くの水族館「海響館」に行つてみようといふ計画だつたのです。

私は釣りの趣味などはまつたくないが、水の生き物を見るのが好きです。自宅でも水槽に熱帯魚を飼つて、毎日眺めてゐる。県内の水族館にもときどき行つて、1日中千差万別の生き物の姿を堪能する。

どの水族館にも、目玉となるパフォーマンスがあり、たいていはイルカやアザラシがその大役を担つてゐます。海響館も例外ではない。派手なイルカショーは堪能したものゝ、そこで私が一番目を引かれたのは、比較的小さな水槽で区切られた、各種の河豚(フグ)でした。

初めは特別な興味もなかつたのに、その水槽の前に立つて見てゐるうちに、不思議な魅力にどんどん引き込まれていつたのです。

河豚の魅力とは何だつたか。体表に独特の模様があるもの、小柄で愛嬌のある泳ぎ方をするもの、さういふ見た目も面白いのですが、どうもそれだけではない。

私なりに考へて、誤解を恐れずに言へば、
「こちらに関心を向けてゐる態度」
なのです。

水族館の中には、おそらく数千種類、個体数にすれば数十万にも及ぶ生き物たちが集められてゐるでせう。しかし彼らのほとんどは、水槽を眺めて回る人間たちには、ほゞ何らの関心も抱いてゐないやうに見える。

彼らの中には、海や川を泳いでゐるところを捕獲されて連れて来られたものもゐるでせうし、この水族館で生まれたものもゐるでせう。いづれにせよ、彼らは「人に見られる」といふ今の事態を好きとも嫌ひとも思つてゐない。ただ、与へられた環境で泳いでゐるだけなのです。

さういふ中になつて、河豚は違つてゐる。観る者に関心をもつて、自分の気持ちを発信してくるのです。

ある個体は、自分の体の模様を誇るやうに体の角度を変へながら泳いで見せる。かと思ふと、別の個体は、少し自尊心が高くて、見栄えのする模様をもつてゐながらも、敢へて無関心を装つてゐる。

2023-08-20 011148

小柄な個体は、上下左右に泳ぎ回つて、その泳ぎぶりをアピールする。いかにも「どう? この泳ぎ方、可愛くて、魅力的でしよ」と、こちらの関心を誘はうとしてゐるやうに見える。

2023-08-20 01134

「これは一体、どうしたことだらう?」
と思ふ。

どうして河豚だけが、他の魚たちと違つて、人に関心を持つてゐるのか。いや、そんなこと自体、私の妄想かもしれない。私以外の大多数の観客にとつては、河豚たちも他の魚と同様、ただ本能のまゝに泳いでゐるだけに見えてゐるのかもしれない。

しかしもし、私の河豚体験があながち私の妄想ではないとしたら、どうでせう。河豚だけでなく、
本当はあらゆる魚たちが何らかの思ひを発信してゐるとしたら、どうでせう。

水族館はただ単に、魚たちが水槽の中で泳いでおり、人はお金を払つてそれを見て楽しむ。さういふものではないやうに思はれてきます。

人はお金を払つて水族館に入つたその瞬間から、そこに棲息してゐる数十万の生き物たちの一部になるのです。「見る者」と「見られるもの」といふ二項対立ではない。人間だけが特別に優位な立場ではなく、みんなが全体で「大きな生命体」の一部として共存しながら交はる場。さういふ、宇宙の縮小体のやうなものが水族館ではないか。

さう考へると、我々は万物(この世のあらゆる生き物、無生物)の色や形など、外に現れたものだけを見て満足も評価もすべきではない。彼ら(それら)が一体何を考へ、どう感じてゐるのか。そこまで共感して、お互ひが同じ一つの生命体の一部であることを味はふべきではないか。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



kitasendo
Admin:kitasendo