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詩人金子みすゞと彼女の時代

kitasendo
2023-08-07

金子みすゞといふ詩人。明治の終はりから昭和の初めにかけて、わづか26年の短い人生を生きた女性です。二十歳頃からの数年間に500編あまりの詩を残してゐます。

大好きと言ふほどでもないが、幾つかの詩のフレーズが耳に残つて心地良い。みすゞは、私にとつて、さういふ距離感の詩人でした。

その生家は、私が住んでゐるところから、意外に近い。そこで先日、てつこさん(我が老母)のショートステイ期間に、記念館を訪ねてみました。

車を運転して、およそ2時間。日本海沿ひを西に走ると、山口県長門市に仙崎(せんざき)といふ小さな漁村がある。そこが、みすゞが短い人生を生きた村であり、記念館もそこに建つてゐます。

仙崎地図

仙崎はその名のとおり、小さな岬が日本海に突き出しており、みすゞが生きた時代には捕鯨で潤つてゐたやうです。だから、みすゞの詩には鯨の詩、魚の詩が結構多い。

みすゞが3歳から暮らした家は、書店を営んでゐた。記念館に隣接して今も建つてゐるが、一度焼失したものを、近所の古老の記憶を頼りに再建したものらしい。幼い頃から本に囲まれた環境だつたことが想像されます。

書店

入つてすぐが書店になつており、その奥が家族の暮らす空間になつてゐる。小ぢんまりした二階建てで、二階の四畳半がみすゞの部屋だつたと案内板にある。

みすゞの部屋

その本宅を裏に抜け、小さな井戸のある庭を回つて奥に進むと、記念館がある。威風堂々とまでは言へないが、こんな田舎の小さな町にしては、なかなか立派にきちんと造られた施設です。

入つて正面の壁に、大きな白黒の写真が掲げてある。案内の男性に訊くと、昭和初期頃の仙崎だといふ。多分年末でせう、狭い通りにかなりの人出があり、通りの一角に男の子たちが四、五人たむろして、何やら話してゐる。

季節柄、丹前のやうなものを着た、三歳から五歳くらゐの男の子たちです。こんな年頃の子が、こんなふうにたむろする光景は、今ではほゞお目にかかれないやうな気がする。

「これが、みすゞの生きた時代の空気だなあ」
と思ふ。

現在の街並みと比べると、ずいぶんゴタゴタしてゐる。道路も家並も、すゝけてみすぼらしい。しかし、そこを行き交ふ人たちが発するエネルギーは今よりも強く感じられる。

さういふ時代の空気。そして、小さな岬に形成された捕鯨の町。店に並ぶ本の匂ひ。みすゞは、さういふ環境要素に育てられ、それらなくして彼女の詩の「ことば」も出て来はしなかつたらだうなといふ気がする。

展示物の中で私が最も目を引かれたのは、みすゞの詩作ノートです。主だつた詩が30編ほどコピーされ、詩ごとに小さな額に入れられて、壁に掛かり、ライトが当てられてゐる。

みすゞの手書き文字は、いかにも若い女性らしい、優しく、温かい、可愛い文字です。手書き文字からは、彼女の人柄や詩作中の思ひ、さらには息遣ひまで伝はつてくる。どんなに装丁を工夫した詩集でも、活字となつた詩には決してないものです。

館内にはみすゞの詩集がいくつも販売されてゐて、手に取つてぱらぱらとめくつてみたものゝ、結局買ふ気にならなかつた。活字といふものの味気なさもあつたが、それ以上に、すべての詩集で原文が現代仮名遣ひに改められてゐたのが、あまりに無謀だと思はれたのです。

原文と活字とで、どう違ふか、一例を見てみませう。有名な「こだまでせうか」を取り上げます。

こだま

これが、みすゞ自筆の原文です。ところが、詩集の活字では、その出だしは、

「遊ぼう」っていうと、
「遊ぼう」っていう。


に、そして結びは、

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

に変へられてしまふのです。

かういふ変更は、多くの人にとつて、おそらく当たり前のことでせうね。気にもとめないことかもしれない。しかし、私にはとても無謀で、味気ないものに感じられるのです。特に詩においては、文字は単なる音の表記でも記号でもない。文字の姿自体も、視覚的に、詩の重要な一部なのです。

戦後、従来の仮名遣ひから現代仮名遣ひに改まつて以来、すでに80年近い。私の年代だつて、現代仮名遣ひが当たり前になつてゐます。

そんな時代に、
「どうして『遊ばう』が『遊ぼう』になつてしまふんだ!」
などと叫んでも、
「それはあなたの趣味、個人的な好みでしよ」
であしらはれてしまふ話です。

しかし、みすゞは「遊ばう」の時代に生きてゐた。それが当たり前で、空気を吸うやうに「遊ばう」と書いてゐた。それを今、いくら奇麗な装丁の詩集でも、「遊ぼう」にしてしまふと、それだけでみすゞとのつながりが何割か切れてしまふやうな気がするのです。

因みに、みすゞの本名は「テル」。みすゞはペンネームです。これも「みすず」ではなく「みすゞ」であるところが、その時代の当たり前でありながらも、やはり詩人の感性だと思ふ。「金子みすず」ではだめなのです。

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Admin:kitasendo