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神を見つける

kitasendo
2023-07-29

一つのものに全神経を集中させれば、自然が、海が語りかけていることを知るでしょう。肉身が心と戦っているとき、もっと心のほうに、あなたが耳を傾ければ、良心の声がどちらから聞こえてくるでしょうか。そのように、神をみつけるのです。
そのようなことに集中して、黙想するとき、風が吹けば、神秘的な音楽を聞き、太陽がのぼり、小鳥がさえずるとき、何かすばらしいことがありそうな気がします。それが、神の創造の心情でした。
(「神の悲しみと人間の無知」文鮮明 1975年10月14日)

何度か記事にも書いたやうに、アニコミ(アニマル・コミュニケーション)に関心を持つて学んでゐます。いまだ愛犬ともコミュニケーションが取れるに至つてはゐないものゝ、動物を見る感覚が違つてきてゐるのを感じます。

聖書によれば、人間は堕落によつて万物よりも劣るものになつたといふ。だから、そんな人間が神に戻らうとするなら、万物を通して行くしかない。それを「供へ物」と言つてきたのです。

頭ではさう理解してきたのですが、本当にさうか。万物が自分よりも貴いといふ実感は、これまで正直なかつた。

動物なんて、所詮食べることにしか関心がないのではないか。それなら、知識もあり知恵も働く自分のほうがよほど偉いのではないか。そんな気がしてゐたのです。

ところが、アニコミの世界を知れば知るほど、動物たちには邪な心がないことが分かる。1日中食べることばかり考へてゐるのでもない。ペットなら、むしろ飼い主さんのことを考へ、愛し、喜ばせようとしてゐる。自分に正直に、ありのまゝに生きてゐる。心と体が戦ふやうなこともない。

聞きかじつた知識で「万物主管」などと偉さうなことを言つたりするのですが、万物とコミュニケーションも取れずに「主管」なんて、話にならない。万物は貴い。その貴い万物と意思の疎通もできないやうな自分は、何だか邪な奴にさへ思へてきます。

文先生が言はれるやうに、本来なら、海が語りかけてくれば、それは神が語りかけたやうに感じる。風の音も小鳥のさえずりも、さうです。

「万物主管」といふのは、人間が優位に立つて万物を愛して治めるといふより、「神を見つける」ために、神から与へられた恩恵としての方法と言ふべきでせう。

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Admin:kitasendo