肉心の世界と生心の世界
あるとき、イメージとして上の図が浮かびました。その意味を整理したので、説明してみます。ラフで、思い違ひもあり得ますので、その点ご容赦を。
我々は今、ふたつの世界に跨つて生きてゐます。ひとつは、肉心の世界、もうひとつは生心の世界です。
「跨つて」といふのは、ちよつとニュアンスがおかしいかもしれない。ふたつの世界は別々にあるといふより、重なつてゐる。
肉心の世界は空間+時間の4次元世界。生心の世界はそのひとつ上の5次元世界。俗には、前者を「この世」、後者を「あの世」とも呼びますが、「あの世」は死なないと行けない世界ではない。我々は今ままさに、「あの世」にも生きてゐる。後者が前者を包み込んでゐると考へてもいゝかもしれません。
ふたつの世界を少し比較してみませう。
肉心の世界は、論理と合理が重んじられる世界です。肉心は我々の肉体を司る心で、肉体を保護育成するのが第一の使命だと自負してゐます。
その使命のために、できるだけ危険を犯さないやうにする。過去のデータを膨大に保存して、そのデータに基づいて論理的合理的に判断します。
「過去のデータによると、かうしたほうが一番安全なので、その道を行かう」
と判断し、それを提案します。といふより、主張します。ほとんど「我を張る」と言つてもいゝ。
判断の基準は、「安全」だけではない。自分に「最大利益」をもたらさうともします。そこで往々にして、利己的ともとれる行動に走つたりもします。
この世界で最も有効なコミュニケーションツールは「言葉」です。
肉心は自分だけに関心があるので、自分と他人を分離して考へます。個はすべてばらばらに、独立して存在してゐるので、「世界の中の私」といふ認識を持つてゐます。
その世界の中で生きていくには他の個となるべく合理的な関係を結ぶ必要があります。しかし個はみな別々であり、感覚は違ふので、そのまゝではコミュニケーションができない。そこで、「違ふ」ものを「同じ」にする「言葉」を作り出し、それで分かり合はうとします。
「言葉」が発達してくると、これは非常に便利なツールなので、それ以外のコミュニケーションツールが次第に退化していきます。つまり、イメージ力、感情、感覚などです。
その結果、「言葉」を操る「頭」の働きが過剰になり、「概念」が生活を支配するやうになります。変化の少ない人工物が重宝され、未来を固定する予定や計画で動ける都会的生活が心地よくなってきます。
例へば、食材の栄養価はカロリーなどの数値で判断され、健康状態は血中の数値で診断されます。個々の味覚よりも、塩分濃度の数値が優先されるのが当たり前になります。
一方の「生心の世界」は、時空がなく、「今、こゝ」だけが存在する世界です。従つて、判断は過去のデータに頼らない。今、こゝで生まれる「直観」が最高の判断ツールです。
生心が求めるのは、今、こゝの喜びです。生き甲斐と言つてもいゝ。真善美の価値を貴重視します。良心が直接アクセスしてくるのは、この生心です。
この世界はより本質的な世界で、量子の世界に似てゐます。
量子のふだんの姿は波動で、誰かの観察(関心)が向けられたときだけ粒子になつて、ひとつの状態に収束します。その本質はかたちのないエネルギーと言つてもいゝでせう。
この世界でのコミュニケーションツールは、言葉よりもむしろ、イメージであり、感情であり感覚です。それらを何らかのシステムでエネルギーとして私が発出すると、相手はそのエネルギーを感じ取り、自分の中でイメージ、感情、感覚に再変換して、私の思ひを読み取るのです。
さういふ世界では、表と裏、本音と建て前がありません。誤魔化しや秘密のない世界です。思つたことがそのまゝ形として現象化します。この世界を「私の中の世界」と呼びます。神の創造性が私を通して発揮されます。
「私の中の世界」がそのまゝ、私にとつての「あの世」、つまり私が永遠に暮らす天国にもなり地獄にもなります。さう考へると、私が「この世」を生きる目的は結局、住みやすい「私の中の世界」を創ることだと言つていゝでせう。
心理学では、表面意識と潜在意識を海に浮かぶ氷に譬へて、前者が水面に浮かぶ5(3)%、後者が水中の95(97)%などと言ひます。それと似てゐて、「肉心の世界」は水面に浮かぶわづかな部分で、大半は水中の「生心の世界」です。
我々が自分の人生をうまく運営しようとするなら、この生心を主体にするのが得策なのに、実際には肉心が相当我を張ります。
「過去のデータによると、合理的に考へると、損得で考へると」
と、声高に主張するのです。
しかしこの声に聞き従ふと、自他分離の二極の世界、不満と渇望と対立の世界に迷ひこんでしまふのです。

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面白い内容だったので
面白い内容だったので、
私の考えも書かせてください。
時間はこの世でもあの世でもあります。
ただ、進み方が違うだけです。
この世は、二次元にプラス空間のある3次元。
あの世は、4次元です。
そして、光がカメラの回ってる時だけ光子の振る舞いをするのは、三次元に二次元の物が干渉したからです。カメラが回ってる時だけ光子になるので。
そして、慣性の法則にあるように、
次元が高くなればなるほど、
ミクロの世界になっていき、
回転が速くなって、時間の経つのが遅くなるんです。
汽車に乗ってる人と、外の人の時間の流れが違うように。
そうすると、次元の高いところの人は
千年が1日のようになって、
予言はそのようにしてなされていく。
そして、生心は生き続けるが肉心は
なくなってしまう事。