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「できる」と思ふことを「しよう」

kitasendo
2023-06-02  

私は昔から相当に観念の強い人間で、
「このことは、かうでなければいけない」
といふ思ひが強い。

観念の人は、現実を観念に合はせようとするので、ものごとの微妙な変化に気がつきにくい。そして、自分自身も変はるのが難しい。

ところがそんな私でも、この2、30年で世の中の空気がずいぶん変はつてきたのを感じるのです。そしてその空気を吸いながら、私自身の変化も感じる。私が感じるくらゐだから、よほどの変化だらうと思ふ。多くのかたが、それぞれに感じておられるかもしれない。

私が感じるのは、どんな変化か。

言葉で説明するのは難しいのですが、世の中がだんだんと明るくなつてきたといふ感じ。もちろん、肉眼で見える明るさではありません。観念による心の縛りが緩んで、自由度が増してくるといつたやうな明るさの変化です。

例へば、昭和の時代には、終身雇用が主流だつた。一旦入社したなら、多少辛くても、仕事が合はなくても、我慢すべきだ。だんだんと慣れてくれば、辛さも減る。そもそも仕事をコロコロ変へるやうな人間は信用されない。さういふ空気(観念)が強かつた。

それが平成に入る頃から、若者は入社数年でどんどん仕事を辞めていくやうになる。昭和の人は「こらへ性のない、意志の弱い人間だ」と批判するものゝ、さういふ動きは止まらない。

かういつた変化の根底にあるのは、
「自分を大切にする」
といふことではないかといふ気がします。

このことが、昔はかなり抑へつけられてゐたのです。

昔は、
「自分を大切にする=エゴ」
といふ観念的な捉へ方が強かつた。

だから、かなり遡れば「滅私奉公」といふやうな言葉もあつたし、さすがにそこまで言はれなくなつても、「世の中に迷惑をかけてはいけない」といふ考へは強くあつたでせう。「好きだ嫌ひだと言つたつて、家族を養ふ責任があるだらう」とも責められる。

しかし、時代はなぜか、「自分を大切にする」といふ方向に、徐々に、しかし確実に向かつて変化をし始めた。さまざまな古い観念の縛りから解かれ、「自分」といふものがだんだんと自由になつていく。私なりに分析すれば、これが「明るくなつてきた」といふ感じの要因のやうな気がします。

私の人生は、20歳になるかならないかの頃に、非常に高い目標を中心に設定されました。「地上に天国を創る」といふ崇高な目標です。

そのためには、数的な基盤が必要だ。経済的な基盤も必要だし、政治的な基盤も必要だ。さういふハードルの高い課題をいつも設定しながら(といふより、設定されながら)生きる人生になつた。

目標が高ければ高いほど、「自分を大切にする」といふやうな考へは、居場所がない。ある意味では、「われを忘れて」走り続けなければならない。

ところが、「目標を達成しよう」といふとき、その「しよう」には2つの違ふ「しよう」があることに、最近思ひ至つたのです。

ひとつは、「できる」と思つてゐるときの「しよう」。そしてもうひとつは、「できないかもしれない」と思つてゐるときの「しよう」です。

例へば、「深呼吸をしよう」といふときの「しよう」は、前者の「しよう」です。これは何の力みもなくできる「しよう」です。

一方、「いついつまでに、これだけの経済基盤を作らう」といふときの「しよう」は、たいてい後者の「しよう」で、とても強い力みと緊張感が生まれる。「深呼吸」のやうに平静な気分ではゐられないのです。

ところが、これまでは、この2つの「しよう」を同じ言葉と見なして取り組んできたのです。

前者の「しよう」は無意識の「しよう」であり、後者の「しよう」は意識の「しよう」だとも言へます。

無意識の「しよう」は、ほぼ自動的にできる「しよう」です。それに対して、意識の「しよう」は、文字通り意識を張り詰めないと維持できない「しよう」なのです。

こゝで、ひとつの大きな問題がある。

意識自体には、ものごとを現象化させる力はないといふことです。意識は、謂はば「モニター」であり、無意識情報の検出器であり、方向を修正することはできる。しかし、思つた通りに現象化させる力はないのです。

だから、意識でいくら
「しよう、しよう」
と念じても、それ自体の力で目標を達成することは、ほぼできない。

それでも昭和の時代までは、「モーレツ」でやれば、意識の「しよう」で目標が達成できると信じられてきた。そして実際に、かなり達成できるやうに見えもしたのです。

ところが、その後段々と、
「意識の『しよう』はつらすぎる。自分の本当の願ひに、もう少し目を向けてほしい」
といふ潜在意識の要請が強くなつてきた。

「深呼吸しよう」の「しよう」で生きたほうが、「自分」がもつと嬉しいのではないか。そして結果的に、より多くのことを達成できるのではないか。さういふ思ひが、「自分を大切にする」といふ自分本来の願ひを顕在化させるやうになつてきたのです。

「自分を大切にする」といふ変化の方向は、これからも変はらないと思ふ。そして、世の中は確実にますます明るくなる。「自分が本当に願つてゐるものは何か」といふことが、もつとはつきりと見えてくる。

これからは、「できないかもしれない」と思つてゐることではなく、「できる」と思つてゐることだけを「しよう」と言ふのがいゝと思ふ。地上天国も、意識の力だけでは実現できない。

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Admin:kitasendo