fc2ブログ
line-height:1.2;

概念の人

kitasendo
2023-04-30

「概念」といふのは、人間独特のものだと思ふ。それなしには人間らしく生きていけないが、同時に、生きづらくもしてゐる。

この、一見すると矛盾するやうに見える「概念」の2つの特徴的要素を挙げてみませう。

一つ目は、「見えないものを見る」といふ特徴です。「ないものをあると考へる」と言つてもいゝ。

見えないものとは、例へば、境界線です。元々地球には何も境界線もなかつたのに、人間が国家といふもの(これも一種の概念ですが)を建てるにつれて、「国境」といふ境界線が引かれるやうになつた。

この国境線がが引かれることで、わづか100mも離れてゐない家同士が、別の国家に属することになる。そして、往々にして、その隣同士で戦争を起こし、殺し合つたりもするのです。

これは、見えないものを概念で見てゐるからでせう。見えない神を信じることはできないといふ人は多いのに、見えない国境線は誰もが信じて疑はない。奇妙なことです。

国境線だけではない。我々は概念によつて、実に多くの境界線を引いてゐます。人種と人種の境界線。民族と民族の境界線。宗教と宗教の境界線。保守とリベラルの境界線…。

我々の世界は境界線だらけです。そしてその境界線で、ずたずたに分断されてしまつてゐる。

二つ目は、「違ふものを同一視する」といふ特徴です。

現代において代表的なものが、男と女でせう。身体的に見れば明らかに違ふのに、「人権」とか「社会的立場」などといふ概念によつて、同じにしようとします。そして「らしさ」を言ふことが憚られるやうになる。

画一的な学校教育もさうかもしれない。子どもたちの個性や能力はみなそれぞれ違つて特徴があるのに、一律の試験で序列をつけようとする。序列のトップとビリとでは絶対的能力の差があるやうな印象が作られます。

我々人間は、その概念の力によつて「言葉」を生み出しました。「言葉」はまさに、「違ふものを同じにする」機能を持つたものです。

例へば、「三つ」といふ言葉を使へば、林檎の三つも蜜柑の三つも同じになる。林檎の三つと蜜柑の五つが同じだと見なされれば、そこで交換も成り立ちます。

かういふ概念の力によつて、経済が生まれ、科学が生まれ、宗教も文明も生まれたと言つていゝでせう。確かに、我々は概念なしには生きていけない。

しかし同時に、この概念によつて、我々は生きづらさを感じ、また対立を避けることができなくなつてゐるのです。

概念は個別の実相を離れて、
「これは、かうあるべきだ」
と考へる。

今まさに感じてゐる「感覚」よりも「べき」を優先する。「感覚」の鋭敏さや柔軟さを失つて、硬直した「概念」に従ふ。それが生きづらさになつてゐるやうに思へます。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



kitasendo
Admin:kitasendo