fc2ブログ
まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

幸福でゐる方法

2023/03/16
原理を学ぶ 2
原理講論 神との対話
2023-03-16 232816

人間は、何人(なんびと)といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。
(『原理講論』総序)

大著の書き出しとして、いかにも力のこもつた、なかなかの名文だと思ふ。特に「もがいている」の一句は、印象が強烈です。

我々は誰でもみな、幸福になりたくて「もがいている」。水に落ちて、溺れさうになり、藁にもすがる思ひで「もがく」。「もがく」には、さういふ必死な響きがあります。

そのあとにも、
「本心の喜ぶ幸福を得ようと必死の努力を傾けている」
とか、
「本心の指向する欲望に従って、善を行おうと身もだえする努力の生活こそ、ほかならぬ修道者たちの生活である」
などといふ文言が続きます。

「幸福といふものは、生半可な努力で手に入るものではない」
といふ含意が滲み出てゐます。

それで、かういふ内容を学ぶと、どうなるか。

「私は、完璧とはもちろん言へないにせよ、それなりに幸福だと思つてゐたけど、本当の幸福ではなかつたんだ。本当の幸福を得るには、これからまだまだ遠い道のりを努力していかないといけないんだ」
と思ふ。

と同時に、今の自分がさほど幸福でないと感じても、それは当然なんだと正当化することもできる。

「幸福を求める人は、今、幸福ではない」

これを「幸福のパラドクス」と呼んでもいゝでせうか。

このパラドクスに甘んじてもいゝかもしれない。しかし、「今すぐに幸福になる術はないのだらうか」と思案してみることもできると思ふのです。少なくとも、さほどの難行を経ずして幸福になる道はあるかもしれない。もしあるのなら、さういふ道を模索してみてもいゝでせう。

「そこに行き着く」道は「そこにいる」ことだ。行きたい場所にいなさい。幸福になりたいか? では、幸福でいなさい。愛がほしいか? では愛になりなさい。
(『
神との対話3』ニール・ドナルド・ウォルシュ)

初めてこの言葉に出会つたとき、私にはかなりの違和感があつた。だつて、さうでせう。「そこに行き着きたい」なら、今ゐるところからそこに向かつて移動しなければならない。それが当たり前の考へかたのはずです。

ところがこの神は、
「そこに行きたければ、そこにゐなさい。幸福になりたければ、幸福でありなさい」
と言ふ。

こんなおかしなことはない。まつたく論理的ではないやうに見えます。しかし、もしこれが意外にも理に適つた話なら、幸福になることはさほど難しいことではないかもしれない。さういふ希望も感じられます。

私が今もし幸福でないとすれば、幸福を妨げてゐるのは一体誰でせうか。給料を上げてくれない会社でせうか。美味しい料理を作つてくれない配偶者でせうか。しょっちゅう故障するマイカーでせうか。

自分の思ひ通りにならないもの。一見すると、さういふものが私の幸福を妨害してゐるやうにも見えます。しかし実際はさうではない。私を幸福にしないものは唯一つ、私以外にないのです。

「私は今幸福ではない」
と私が思ふ限り、他の誰がそれを否定しても、私は決して幸福になり得ないでせう。

反対に、明日の食費もまゝならないほどであつたとしても、
「私は幸福だ」
と思へば、誰があざけらうと、私は決して不幸にならない。

さういふ意味で、私は自分の幸福の(唯一の)創造主であるといふことができます。この創造主になるために、私はこの世に生まれてきたと言つてもいゝと思ふ。

総序は、いかにも幸福を得ることが難しいやうに言つてゐます。しかし、難しいのが事実だとしても、難しいのは「不幸から幸福へ行き着く」道のりが難しいのではない。幸福でゐる方法(コツ)を見出すのが難しいだけなのです。方法さへ見つけ出せば、幸福でゐることはいともたやすい。

神から
「幸福でありなさい」
と言はれれば、「はい」と言つて、その日のうちに幸福でゐることが可能です。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ

にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



Comments 2

There are no comments yet.

すみれ草

引き寄せの法則を語る方々が云われるには、人が幸せに成りたいと願うその深層心理の根底に、私は今幸せでは無い、という言葉を抱えている場合が多く、怖い事に引き寄せの法則は、その根底の思い強く呼応してしまうのだとか。
心の底から純粋に愛がある、感謝できる、等々、目標は更に高く深くなってしまうとしても、その課題を見出せたという事はきっと素晴らしいことですね。

2023/03/18 (Sat) 01:14
kitasendo

kitasendo

Re: タイトルなし

「引き寄せの法則」に対して、「引き寄せられの法則」を唱へる人がゐますね。http://kitasendo.blog12.fc2.com/blog-entry-2876.html この発想の転換もなかなか面白いと思ひます。

2023/03/18 (Sat) 09:53