私の願ひはすでに叶つてゐる
我々は、一体いつになつたら身心一如になり、個性完成できるのでせうか。10年後なのか、30年後なのか。それとも、自分の人生ではそれは無理で、自分の子孫に託すしかないのか。
仏教ではすでに2500年あまりに亘つて、この境地を模索してきたものゝ、誰がそれを達成したのか、定かではない。仏教でいふところの悟りには52も段階もあり、その最高位にまで達したのは、お釈迦様ただ一人。龍樹菩薩と無著菩薩が41段階でそれに続き、かの達磨大師でさへ30段階だといふ。
こんなことでは、凡夫たる者には、限りなく希望がない。生涯どころか、永遠に迷ひの世界で生き続けるしかなささうに思へてきます。
キリスト教では、
「我々は決して、イエスのやうにはなれない」
と、初めから諦めてゐます。
イエスは神の子、あるいは神御自身かもしれず、罪を抱へた我々がその方に似るなど、とんでもない妄想だといふわけです。
『原理講論』では、イエスは神御自身ではなく、あくまでも我々と同じ人間だと言ふ。しかしそれはイエスを貶めることではなく、我々の価値を引き上げるだけだと、その見方の正当性を主張します。
この見方の転換は慶ばしいことですが、さてそれなら、我々は一体いつ、どうしたらイエスのやうな個性完成者になれるのか。これには明確なガイドラインがなく、霧に包まれてゐる。
そこで何となく、
「これは雲の上のやうな話だらうな」
と思ひ込んで、日常の生活に戻つていくのです。
素晴らしく高邁な理想があるのですが、それは何だか高すぎるやうに感じられて、結局私には、
「理想に近づけない、ダメな私」
といふ敗北感にも似た諦めの気持ちしか残らない。
我々は昔の修行僧のやうに魂の修行に生涯を賭けると決意するか、さもなくば、初めから諦めて凡人として生きるしかないのか。この閉塞感に打開策はないのか。
打開策はある、しかもそれは意外に難しくないといふことを、比喩的な話で考へてみませう。
私は今、築40年の古ぼけたアパートに住んでゐるとします。家賃は月5万円です。
ところがそのアパートの窓から、遠くないところに六本木ヒルズが見える。聞くところによれば、その最上階の家賃は520万円と言ひます。
ざつと、アパートの家賃の100倍です。そこに住むには、単純計算して100倍の収入が必要だ。今の私には、それこそ雲の上の夢のやうな話に思へる。
私がヒルズの生活をするには、2つの方法があります。1つは、収入を100倍に増やすといふ方法。もう1つは、ヒルズに住んでゐるやうに生活する、といふ方法です。
最初の方法は、修行僧のそれです。それも不可能とは断言できないが、限りなく難しい。
2番目の方法は、安アパートに住んだまゝで、今日からすぐにヒルズ生活ができる。窓から見える景色を高層階からの眺望のやうに見、せんべい布団を豪華な王様のベッドのやうに眠ればいゝのです。
この方法は、何だか惨めで、馬鹿げてゐるでせうか。さうとも言へない。
この方法の良いところがあります。
それは、
「私の願ひはすでに叶つてゐる」
と思へる点です。
最初の方法では、遠い将来のいつか、年収が100倍に増えるまで、
「私の願いは、まだ叶はない。叶ふまでは惨めな安アパート暮らしが続いて、幸福になれない」
といふ欠乏感、敗北感から逃れることができないでせう。
さて、言ふまでもなく、ヒルズの高層階は釈迦やイエスであり、安アパートは現状の私です。2番目の方法は、ヒルズ(釈迦やイエス)をアパート(私)のレベルに落とすのではなく、アパート(私)をヒルズ(釈迦やイエス)の高さに上げるといふ発想です。
家賃が100倍違ふと言つたつて、生活の中身の何が一体違ふのでせうか。食べて、寝て、仕事をするといふ、人としてのあり方は何も違ひはしない。
釈迦が52段階の悟りにゐるといふなら、私だつて、まれには至福に満ちた瞬間があるでせう。イエスがいくら偉いと言つたつて、私にも、ときには人の過ちを許せるときくらゐあるでせう。心の思ふまゝに体が動くときだつてあるでせう。
それは、嘘でも何でもない。自分の今をちやんと評価するだけのことです。
いつか
「身心一体になつた者がゐるか?」
と尋ねられたら、手を挙げてみよう。
「何を言ふか。この馬鹿野郎!」
と否定される筋合ひはないと思ふ。

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