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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

原因の特定はあなたにお任せします

2023/02/20
私の中の世界 0
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私が自分自身を見るにおいても、誰か他の人を見るにおいても、見えてゐるのは実際にあるもののごく一部であると思ふ。ほとんどのものは隠されてゐて見えない。

しかし、今まで見えてゐなかつたものが見えてくることがある。それはそれを見るにふさわしいときが来たといふことであり、見ることによつてそれに関はる課題を解くチャンスが訪れたといふことではないかと思はれます。

最近ある人(Aさん)と話してゐるとき、話題は母のことから転じて介護のことに及んだ。Aさんの知り合ひ(Bさん)の姑さんにだんだん認知症状が出てきて、生活に支障が増えてきたのだといふのです。

ところがBさんは姑さんの世話など絶対にしたくない。触るのも嫌だといふらしい。多分嫁いで以来、2人の関係はかなり難しいものだつたのでせう。

その話を聞きながら、
「さういふことはあるだらうな」
と私は同情しながら思ふ。

と同時に、私自身を振り返つてみれば、姑と実母の違ひはあるにせよ、触るのも嫌だといふやうな拒否感はまつたくない。抱きしめて頭をなでてあげるし、ウンチが手についたつてあまり気にしない。

しかし、なぜ今私はAさんからBさんのこんな話を聞く羽目になつたのだらう。それを考へると、もしかして私の中にもBさんのやうな要素があるのではないか。それに気づきなさいといふ何らかの示唆ではないか。さういふ気がしてくるのです。

「Bさんのやうな要素」といふとき、それはもしも私もBさんと同じ立場に立てば同じやうな気持ちになるといふ意味では、必ずしもない。それよりももつと微妙な意味です。

集合意識」といふ言葉があります。社会学的、心理学的で多少ニュアンスが違ふやうですが、私はこれを「記憶の共有」と捉へてゐます。

我々人間に限つて言へば、すべての人は過去からのあらゆる記憶を集合意識として共有してゐる。それゆゑ、ある一つの記憶がある人に甦つてその人の人生の現象として現れたとき、その現象を見ることで、私にも同じ記憶があることに気づく。

現象は、さういふ意味では、その原因となつてゐる記憶に気づくために現れると言つてもいゝでせう。

気づけば、私の中からその記憶を消去あるいは浄化する作業に取りかゝる契機になる。するとその記憶はBさんにも共有されてゐたものなので、Bさんからも消去あるいは浄化される。さらに言へば、Bさんから話を聞いたAさんにも同様なことが起こる。

具体的な話に戻してみませう。

Bさんが今の姑さんのゐる家に嫁いだのは、偶然ではない。そこで姑さんとの葛藤を経験し、その経験の元となつてゐる記憶に気づき、それを消去あるは浄化すれば、Bさんはその記憶から解放されるはずだつた。ところがBさんはそれに気づかず、葛藤が葛藤のまゝで過ぎてきてしまつたのです。

そこでその体験談がAさんに伝はつた。そのときAさんが記憶に気づいて消去浄化できればよかつたが、Aさんも気がつかないまゝ、私のところまで廻つて来た。こゝでBさん、Aさん、私の3人は一つの運命共同体になつたのです。

Bさんの葛藤として姿を現した記憶。それは嫁と姑、そして介護といふ限定された内容そのまゝの記憶ではないかもしれない。2人の女性が関係を悪化させ、互ひに憎み合つた記憶。嫁姑は仲が悪くて当然といふ記憶。あるいはやられたらやり返すのが当たり前といふ記憶。さういふ記憶がBさんの場合、姑さんとの関係として再現されたのかもしれない。

かういふ問題が起こつた場合、ふつうはどんな解決策を探るでせうか。

例へば、専門のカウンセラーに相談してみる。するとカウンセラーはいくつも具体的な対処法を教へてくれるでせう。

「介護が難しいなら無理をすることはない。どこか施設に頼りなさい」
と言ふかもしれず、
「あなたがこれまで姑さんにとつてきた態度について、一度冷静に振り返つてみてはどうですか」
と助言するかもしれない。 

いづれにせよ、カウンセラー自身も運命共同体だとはつゆ思はないでせう。そしてせいぜい、理性的経験的に考へ得る理由までしか指摘できないでせう。

さういふアドバイスがまつたく無益だとは言へない。しかしこれは例へれば、首が凝つて仕方ないと言つて治療に来る人に首の凝りだけを取る処置をするのに似てゐます。

首の凝りは大抵、その奥に肩甲骨や腰の不具合が隠れてゐる場合が多いのです。だから根本的にはそこから治療していくべきなのに、隠れてゐる原因は容易に見つけ出せない。それで仕方なく首の治療だけをしてその場を凌ぐことになります。

しかし、問題を解決するのに、見えてゐる原因だけを取り除いてそれでよしとするのは、根本解決にならないばかりか、危険でさへあると思ふ。体の問題も容易ではないが、心の問題はそれよりはるかに深くて複雑でせう。

だから、Bさんのやうな問題でも、その原因を分かつたつもりにならないほうが、むしろいゝ。本当の原因は集合意識の深いところにあつて分からないことを認め、そこで人力をはなれ、神の大いなる叡智に委ねる。それがより賢明だと思はれるのです。

本当のところはどんな記憶が原因となつてこの問題が起こつてきたのか私には特定できません。そこでその原因を特定することはあなたに任せ、私はただその記憶を消去あるいは浄化することをあなたに懇願します。

それが私の祈りになります。今回の話の場合、私がAさんから話を聞いた時点で、もはやAさんはゐない。Bさんもゐない。私自身の問題になるのです。

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