病気は「もの」ではなく「こと」である
『感染症は実在しない』(岩田健太郎)とはちよつと目を引くタイトルです。
「実在しない」とはどういふことだらう? この3年間世界中をパニックに陥れたコロナパンデミックも幻想に過ぎなかつたとでもいふのでせうか。
岩田医師は感染症の第一人者で、このパンデミックの最初期、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセスに乗り込んで対策の最前線に立つたことで、当時その名前が知られた。その専門医がありもしない感染症と闘つたのかといふと、さういふ意味ではない。
内容を読んでみると、実在しないのは感染症だけではない。病気といふものがそもそも実在しないといふ主張です。
その意図をもう少し丁寧に言ひ直せば、
「病気は『もの』ではなく『こと(現象)』である。ある特定の『こと』を病気だと見なすのは医学の恣意性である」
といふことです。
「もの」といふのは、例へば、感染症ならウイルス、ガンならガン細胞を指す。ウイルスやガン細胞は「もの」であつて、もちろん病気ではない。ところが我々は往々にしてこの「もの」を「こととしての病気」と同一視してしまつてゐると岩田医師は指摘するのです。
言はれてみると「なるほどさうか」と思ふ。
PCR検査で陽性と出れば、「感染者」として即隔離する。ところが陽性の人でもほとんど無症状の人がゐる。といふより、さういふ人が大半でせう。感染症を「こと」として見れば、症状のない大半の人は病気ではない。これはつまり「病気は実在しない」といふことではないのか。
それなのになぜこれほどの大騒ぎになるか。「陽性=ウイルスが体内に存在=病気」といふ「もの」ベースでの考へ方になつてゐるからではないかと思はれるのです。
感染症を「こと」ベースで考へれば、例へば、熱が出る、味覚が麻痺する、頭痛がする、鼻水が出るなどいろいろな現象が見られます。しかしその現象には程度の違ひがある。
発熱といふファクターで病気を判断しようとすれば、一体何度から発症だとするか。その判断は多分に医療者の「恣意」によるのです。仮に38度以上を発症と決めたとすれば、37.5度では病気ではないことになる。
ガンも同様です。
今ではどんな人の体内でも毎日数千個のガン細胞が生まれてゐることが分かつてゐます。ガン細胞が一つでもあればガンといふ病気だと「恣意的」に定めたら、すべての人がガン患者だといふことになる。あるいは逆に、どれだけガン細胞が大きくなつても症状がなく検査もしなければ、その人は「こと」としてのガン患者ではない。
現代医療におけるさまざまな矛盾と混乱の根底には、「こと」である病気を「もの」として見てゐるところにある。これが岩田医師の基本的な考へのやうです。
この見立ては的を射てゐると思ふ。そしてそれ以上に、これは病気に限らないとも思ふ。
例へば、人間関係。
私がある人に対して、対面するといつもイライラさせられる。嫌ひなタイプだと思ふとします。この場合、「イライラする」のが病気に当たります。
なぜイライラし、嫌ふかと考へると、その人がさういふ人だから、その人のせいでと考へやすい。しかしこれは、イライラする、嫌ふといふ現象(こと)を「その人」といふ特定の実体(もの)で認識してゐるのです。この認識も恣意性によるものでせう。
その人は自分の個性によつて話し行動してゐるに過ぎない。別に私をイライラさせようといふ意図を持つてゐるわけではないのです。その証拠には、その人が同じやうに振る舞つても、イライラもせず嫌ひにもならない人が大抵はゐるものです。
その人がどんなふうに振る舞ふかは、単なる現象(こと)に過ぎない。ところが、私がそれを気に病み葛藤する原因は、その人にではなく、さういふ振る舞ひをする奴はけしからんと恣意的に決めつけてゐる私自身にあるのです。
恣意とは結局、私の内面の価値基準なのです。その基準によつて判断してゐるに過ぎないのに、その基準に合はない人を「けしからん」と思つてゐる。岩田医師の言ひ方を借りるなら、病気ではないことを恣意的に病気だと決めてしまふために病気が生じるといふカラクリと同じなのです。だから、その恣意を取り外せば、病気もなくなるやうに、私の葛藤もなくなるはずだと思はれます。
岩田医師の観察では、日本人医療者には病気といふ「こと」を「もの」として捉へる傾向が強いやうです。これはたぶん、医療者に限らない。我々日本人一般に共通する性癖かもしれない。
「もの」に拘りすぎると、それに囚はれて発想の転換がなかなかできない。頭が固いといふのか。それは今回のパンデミックでも日本の至るところで露呈してゐるやうに見えます。
(追記:かと言つて、岩田医師が目の前で苦しむ人に何の医療処置も施さなくていゝと主張してゐるのではない。それだけは断つておきます。詳しくは本書をご一読ください)

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