強張りを緩める
もうかれこれ半年近く、首筋の強張りとつき合つてゐます。これまでにも首が凝ることはときどきあつたものの、今回の強張りは並大抵ではない。整体にだいぶ通つた今なほ、完治する気配は見えない。
首の強張りは首だけの責任でないこと、それは分かつてゐます。首の筋肉が他の筋肉とつながり合つてゐるのはもちろん、骨格とも複雑に連携してゐる。問題の元が腰のあたりにあることは見当がついてゐながら、整体師と言へども容易には調整できないのです。
肉体は言葉を持たない。どこかに問題が生じても「こゝがこんなふうに悪い」とは説明してくれないのです。そこで、言葉の代りに痛みで知らせる。
痛みが生じると、そこで初めてその痛む箇所を意識する。こゝに意識の重要な役割の一つがあると思はれます。
肉体は無意識世界の住人です。肉体が言葉を持たないといふのは、無意識は沈黙する意識だといふことです。
無意識は無言で黙々と働きつづける。だから肉体も、私の意識が眠つて休息してゐやうとゐまいと関係なく、働きつづける。ところが働き過ぎるうちに、どうしても疲労がたまる。
多少の疲労なら、無意識のまゝで処理ができるでせう。体全体を調整し、ホルモンなどに助けを要請したりするのです。
ところが、それでももうこれ以上は無理だといふ限界が来る。そのとき初めて、痛みといふ形で信号を意識に送り始めるのです。首筋の強張りはその信号でせう。
痛みの信号を受けて、意識は初めてはっと気がつく。気がついたら次に、どうやつてその痛みをリリースする(取り除く)かを考へる。
人生にはいろいろな苦痛や躓きがある。これも考へてみれば、首筋の強張りのやうなものですね。
人生の大半も無意識で運行されてゐます。明日何が起きるか、どんな人と出会ふか、分からないまゝに明日を迎へ、事態の進展に身を任せるのが我々の日常です。
しかしときに、ものごとがスムーズにいかない、何だか苦しい。それは無意識からの救援要請信号です。
このやうな事態を「摂理」と呼んでもいゝでせう。蕩減問題が目の前に立ち現れて来たのです。
このときこそ、意識の出番です。無意識が信号を送る理由は何か。今知らせた苦痛をリリースしてほしいといふことです。
苦痛をリリースするために意識がとれる最良の方法は何でせうか。
「感謝して受け止める」
といふ方法ではないかと、私は思ふ。
苦痛を感謝するとは、苦痛を許すことでもあります。
「許す」といふ言葉は「緩める」から来てゐる。首の強張りは緩めなければならない。緩めるためには、こわばりの原因になつてゐるものに感謝し、許すことです。その上で強張りの肉体的な原因を取り除く。
それと同様、人生の苦痛は摂理的存在である私の強張りなので、まづ感謝して許す。そして可能なことから現実対応していくのです。

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