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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

見えない人の名を呼ぶ

2023/01/23
介護三昧 0
ナースコール

食欲こそまだあまり衰へずにあるものゝ、ほぼ寝たきり状態のおばあちやんは、日に何度も私の名前を呼ぶことがある。

尿意を催して呼ぶこともあるが、それはむしろまれで、大抵は大した用事がない。一寝入りして目が覚めると、周りに誰の気配もない。目が見えないから、暗闇の中にゐる。それが不安になつて私の名前を呼ぶのです。

昼間私が家にゐて、別の部屋からでもその声を聞きつければ、駆けつける。

耳が遠いので顔を近づけて
「おしつこが出る?」
と訊くと、今はないと答へる。

困るのは夜中のナースコール。毎夜、一度や二度は寝室から私の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。さほど献身的でもない私は、夜中のコールはほとんど無視する。大抵はしばらくするとそのコールもやみ、静かになる。また眠りに落ちるのです。

昨夜もコールが聞こえてくる。間歇的ではあるが、なかなかやまない。それでやうやう温まつた布団から出て様子を見に行くと、少し掛布団がはだけてゐる。本人はすでに半分寝てゐるので、布団を直して私も寝室に戻る。

布団に入つてもしばらくは寝られない。あれこれ考へてゐると、ふと気づくことがあつたのです。

「おばあちやんは、よくもあんなに私の名前を呼ぶもんだなあ。ふつうあんなにも一人の人の名前を呼び続けるやうなことがあるだらうか」

私だつて、もちろんしない。しかし考へてみると、おばあちやんは見えない世界に呼びかけているのだ。目を開けても何も見えない。見えないが、近くに私がゐると信じて呼び続ける。

見える人を呼ぶことと見えない人を呼ぶこと。人の名を呼ぶことにおいてはどちらも同じやうに思へるが、その切実さはずいぶん違ふでせう。

学校のクラスで先生が生徒の名前を点呼する。これは見える人を呼んでゐます。生徒は自分の名が呼ばれたら返事をする。それで先生はその生徒の出席を確証する。用事を言ひつけることもできる。

しかしおばあちやんが私の名を呼ぶのは、見えない人を呼んでゐるのです。ゐるかどうか分からない。ゐたとしても、声が届くかどうか心許ない。ゐることを確認したいのです。

このやうな呼び方は、もう少し遠くまで声を届かせようとすれば、目に見えない世界、霊界にゐる人の名を呼ぶことにつながるでせう。そしてもう少し奥深くなれば、神様を呼ぶことにもつながる。

目に見えないのでその相手がゐるかどうか確証がない。ゐても自分の声が届くかどうかも分からない。それでも声が届いて、相手から返事が返つてくることを期待する切実な心があるのです。

神様のことだから私などより遥かに心が深く、切実に名前を呼ぶ声が聞こえればすぐに飛んででも行きたいだらうと思ふ。さう考へると、おばあちやんがしばしば私の名を呼ぶのは祈りに近いと言つてもいゝかもしれない。

夜が明けて、静かなおばあちやんの部屋を覗いてみると、結構おとなしく布団を首までかぶつて寝息を立ててゐる。本人は夜中にあれほど切実に私を呼んだことすら覚えてはゐないでせう。

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