「こよみ」で生きる
江戸時代の古学者本居宣長によれば、中国から「暦」といふ漢字と緻密な時の読み方の体系が入つてくる前から、「こよみ」といふ我が国固有の観念があつた。
「こよみ」の元をたどれば、「来経数(きへよみ)」といふ古い言葉がある。1日1日が次々に来ては経ていくのを数へるといふ意味です。「きへよみ」が「けよみ」になり、「こよみ」になつた。
固有の「こよみ」は今の「暦」の観念からすれば、ずいぶんと大らかなものだつたやうです。
例へば、「立春正月」。
古代の人々にとつての「立春正月」とは、何月何日と決まつた日といふより、鋭い季節感によつて立つ春の「しらべ」を体感する経験だつた。その経験から「あらたまの」といふ枕詞が自然に生まれ る。因みに「立つ」とは「これまで見えなかつたものが初めて空に見える」といふやうな意味です。
あるいは、『万葉集』に所収の持統天皇の有名な御製。
春過て 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり あめのかぐ山 |
これも「立夏」の日を迎へたから詠んだのではない。春とは言へない温かな風を肌に感じ日差しも強くなつたなと感ずるころ、白い衣が野外に干してあるのを見て「あゝ、夏だなあ」と感嘆する。こゝにも鋭敏な季節感が浸透した生活に育まれた、民族特有の個性が伺へます。
もう一つ、宣長が挙げてゐる例。
その人のうせにしは、この樹の黄葉のちりそめし日ぞかし |
ある親密な人が亡くなる。その人の命日はいつか。亡くなつたのは、この木の葉つぱが黄に色づいて散り始めた頃だつたなあ。今年も落葉が始まれば、それがその人の命日だ。
古代の人々のかういふ「こよみ」の読み方は、正確な日付で「暦」を読む今の我々とはずいぶん感覚が違ふなあと思ふ。今の我々なら、故人の命日は必ず「何月何日」とはつきりさせずには気が済まないでせう。
どちらがいゝか。どちらが心に豊かな生活か。俄かには判定できない。ただ、自分自身を顧みれば、「こよみ」の感覚が残つてゐないことはないなと思ふ。
私の妻の命日は6月初旬の某日です。その日だけは、私は「暦」によつて思ひ出すのではない。
亡くなる日の10日ほど前、私は2人の子どもを連れて近くの川に蛍狩りに出かけた。私の子ども時代にはほとんど見かけなかつた蛍が、そのときは天然の夜間ショーのやうに華麗に乱舞してゐたのです。
興奮したのは子どもたちばかりではない。私まで心が高ぶつて、川べりをあちこち動き回りながら、かなりの数の蛍を捕まへ、ビニールの袋に詰めていそいそと家に持ち帰つた。そのころほゞ身動きできず病床に臥せてゐた妻(子どもたちにとつては母親)に見せて喜ばせようとしたのです。
臥せたまゝで妻は「まあっ」と言つて少し目を瞠つたが、それから10日を経ずして息を引き取つた。
毎年5月の末になると、近くの川に蛍が飛び始める。何匹か、捕まへてみることもあるが、あの年のやうな高揚感はない。ただ私にとつては、「蛍が舞ひ始めると妻の命日が近づく」のです。「暦」の日付はあまり関係ない。
「暦」の基礎は天体の動きを正確に読むところにあるでせう。その天体は神が創造したものであるなら、動きの正確さは神自身への信頼に基づいてゐる。だから「暦」は神の創造物だとも言へます。
ところが、神の造つた「暦」はもうひとつある。それが我々の身近にある自然の変化です。
春風が吹き始めると、桜のつぼみがふくらむ。
雨が二日をおかず降るやうになると、あちこちの田んぼから蛙の鳴き声が響くやうになる。
彼岸が近づくと、あちこちに赤い彼岸花が咲き乱れる。
秋風が立つと、銀杏の葉つぱがぐんぐん黄色に色づき始める。
夜空に細い月を見ると、あゝ今日あたり三日月だなと思ふ。
かういふ繰り返し巡り来る自然の変化が、古代の人々の「こよみ」だつた。そしてその「こよみ」で、彼らの生活はなんら不自由を感じなかつた。
肉体的な感覚をもつて生きるこの世の人生に、一体、「何月何日」といふ記憶がどれほどの意味を持つだらうか。「6月某日がその人の命日だ」といふのは、ひとつの概念に過ぎないやうな気がする。そんなものは忘れてもいゝが、蛍の記憶だけは決して消えないのです。

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