駿河路や花橘も茶の匂ひ
数学者岡潔博士の随筆集『春風夏雨』に明治時代の物理学者寺田寅彦博士の逸話が出てきます。
芥川龍之介を夏目漱石の末の弟子といふなら、寺田博士は初めの弟子ともいふべき人で、そこからも分かる通り、単なる物理学者ではない。俳人、随筆家としても才のあつた人です。
寺田さんが初めて夏目先生に会つたのは、彼が旧制高校の学生だつたときのこと。夏目先生は英語の担任だが、俳道にも長けてゐた。
そこで寺田青年は夏目先生に
「俳句とはどういふものでせうか」
と尋ねたところ、夏目先生は言下に
「しぐるるや黒木積む家の窓明かり(凡兆)。かういふものだ」
と答へたといふ。
凡兆とは野沢凡兆。蕉門の代表的俳人です。
この答へを聞いて、寺田さんは俳句が分かつたといふ。十代の若者に引けを取るやうで悔しいが、私にはよく分からない。
しかし次の句なら、少しは分かる気がします。
駿河路や花橘も茶の匂ひ(芭蕉) |
天下一の茶の産地駿河を往くと、橘の花さへお茶の匂ひがするやうだ。その感じを広げてみると、かういふ俳句の味(茶の匂ひ)が分かるのは、我々が互ひに「千年以上かけて先人たちが積み上げてくれた日本の伝統文化」(駿河路)のなかに暮らしてゐるからでせう。これは本当にありがたいことです。
ところで、寺田博士の弟子に中谷宇吉郎といふ物理学者がゐる。世界で初めて人工雪の製作に成功した人です。この中谷さんが岡博士の親友といふ関係です。
ある晩中谷さんが寺田先生のお宅を訪ねると、新聞が広げてあつて、
「恐竜の卵を探し当てるために米国が大規模な探検隊を組織して中央アジアかどこかへ派遣することになつた」
といふ記事が出てゐた。
中谷さんが
「先生、恐竜の卵が見つかると、どういふよいことがあるんでせう」
と訊くと、寺田先生は無言だつた。
ところが帰りがけ、玄関で靴の紐を結んでゐると、見送りに出た寺田先生が、まるで独り言のやうにかう言つたのです。
「恐竜の卵が見つかつたからといつて、別にどうといふことはないが、だからなほさら尊いのだなあ」
これが本当の学者の発想だと、岡博士は言ふ。しかしその一方で、米国の真意はそこにないだらうと博士は分かつてゐる。何が真意か。
恐竜の卵があるところには、十中八九石油もあるだらう。それが米国が大探検隊を組織した狙ひに違ひない。
寺田先生が最初無言だつたのは、もしかすると、この真意に気づいてゐたからかもしれない。しかしこれは学者が自慢げに言ふべきことではない。
だから若い学究者にはそんな話はしない。そして帰りがけ、学問の本質を一言で端的に伝へておく。
さういふ意味で、寺田博士は学問本来の世界の住人であつたし、中谷さんも岡博士も同様でせう。この人たちはみな「駿河路」を往く人たちです。その人たちに接すると、等しく「お茶の匂ひ」がする。私もその匂ひが好きです。

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