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み言葉によって私はいかに再創造されるか

kitasendo
genesis

昨日、文先生が確定された八大教材教本(天福櫃)の相続式が礼拝の時間に行われ、私も参加させていただきました。

文先生のお話によれば、この教本は堕落した人類を救う神様の救援摂理のために現れたものです。
特に『平和神経』は世界平和をなす神様の聖書。
また『天聖経』は30年、『世界経典』は50年かけて、文先生が骨身を削り、サタンに打ち勝って探し出されたみ言葉であると言われます。

50年という歳月の内実がどのようなものか、私の想像の枠を超えていますが、文先生の50年が並みの50年でないことだけは分かります。

そのようにして探し出したみ言葉を私たちに相続させてくださるというのですが、そのみ言葉とはそもそも一体何なのでしょうか?

私たちは統一原理を通して、①み言葉による創造②み言葉の喪失③み言葉の復帰、という一連の流れを理解していると思います。
ヨハネ福音書の冒頭に、「初めに言があった。言は神と共にあった」という聖句がある如く、神様は創造の構想理想としてみ言葉(ロゴス)を立てられたのです。
そのみ言葉の最高峰の実体がアダムとエバとなるはずでした。

ところが、その2人がみ言葉を不信して堕落したために、み言葉の完成実体を失ってしまいました。
それゆえ、来られるメシアは神様を代身してみ言葉を備え、堕落した人類をみ言葉によって再創造しなければなりません。

とすれば、私たちは八大教本のみ言葉によって、どのように再創造され得るのでしょうか?

文先生は「訓読時間に福の糸がかかっている」と言われたそうです。
「家庭でみ言葉を訓読する伝統を立てなさい」とは、文先生が最も強調されるところです。
訓読を伝統化することで、私たちは再創造されていくのでしょうか?

絶対信仰、愛、服従による創造」で考察した通り、神様はご自身の絶対信仰、愛、服従でこの世を創造されました。
神様はみ言葉によって創造されたという聖句と合わせて考えると、
み言葉=絶対信仰、愛、服従
と言うことができます。

とすれば、八大教本(天福櫃)の相続とは、結局、神様の絶対信仰、愛、服従の相続だと言えることになります。
み言葉を相続するとは、ただ単に文先生のみ言葉を言葉として訓読したり暗唱したりすることではなく、文先生の生き方を通して実体的に現れた神様の絶対信仰、愛、服従を相続するということに他ならないでしょう。

絶対信仰とは、
私は神様が設計された通りの人間として完成するという信念

絶対愛とは、
神様の創造理想に対して、自分自身が完全な対象として一つになるという心の姿勢

絶対服従とは、
創造理想を実現するまで、投入しては忘れ、投入しては忘れるという生活姿勢

み言葉とは、文字通りの単なる言葉ではなく、信念であり行動、生き方そのものである。

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ドラミちゃん

わかりやすい解説で、改めて、神様の創造理想と文先生への感謝の思いが湧いてきます。 
現実をみれば、想像を絶する事件が次々と起こったり、統一原理に耳を傾けようとしない世間に対し、憤りを感じることも多々ありますが、メシヤとともに生き、私達がこの世を復帰させていく者として、この内容を身に付けていかなければと思いますね。

2010年08月03日 (Tue) 07:52
kitasendo
Admin:kitasendo