神は神以外のものになれない
人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれて来る。彼は科学者にもなれたらう。軍人にもなれたらう。小説家にもなれたらう。しかし彼は彼以外のものにはなれなかつた。これは驚くべき事実である。 (『初期文芸論集』小林秀雄) |
この一節は、小林の数ある言説の中でも、私がしばしば立ち返るフレーズの一つです。
我々は確かに、自分の能力や意志、あるいは人生の成り行きによつて、科学者になつたり軍人になつたり小説家になつたりするでせう。現代では大半の人がサラリーマンになるのかもしれない。
そのやうに我々は様々な名称で呼ばれる職業人になる。しかし唯一、なれないものがある。それが「自分以外のもの」です。
これを小林は「驚くべき事実」と言ふのですが、一体どれくらゐの人がこの事実に驚いてゐるでせうか。多分の多くの人はこの事実自体に気づきもしないのではないか。
「彼は彼以外のものにはなれない」
とは、一体どういふことでせうか。
科学者であれ軍人であれ小説家であれ、それらは彼自身が、あるいは彼が生きる社会が彼に与へる「意味」なのです。
「私は科学者です」
といふとき、それは彼自身について言つてゐるのではなく、彼が自分に賦与してゐる「意味」を言つてゐるのです。
もしかして人生の歯車が少しでも違つた廻り方をしていたら、彼は科学者ではなく小説家になつてゐたかもしれない。あるいは、今は科学者であつても、10年後には科学者でなくなつてゐるかもしれない。
しかし「彼が彼であること」「彼が彼以外のものになれないこと」だけは、どうしたつて動かない。どうしてもこゝから離れることはできないのです。
この「彼」は科学者でもなく、軍人でも小説家でもない。親がつけてくれた名前で呼んでも、その本質を突くことができない。何とも形容のしやうのない「何者か」です。
この事実に気がつくと、本当に天地がひつくり返るほどに驚く。どうして我々はこんな存在の仕方をしてゐるのだらう。深い謎にぶち当たります。
正攻法でこの謎を解くのは私の手に負へないので、裏の手を使つてみませう。「彼」のところに「神」を入れて言ひ替へたらどうなるでせうか。
神は科学者にもなれたらう。軍人にもなれたらう。小説家にもなれたらう。しかし神は神以外のものにはなれなかつた。 |
実際神は一級の科学者でもあり、軍人でもあり、小説家でもあるでせう。さうでなければ、こんなに精密で美しい世界を創れるとは思へない。だから神はどんなものにもなれるが、極まるところ、神以外のものにだけはなれない。
神は森羅万象の被造物を構想し、そして実際にそれを創造した。しかしそれを構想するといふ神自身は創ることも変へることもできない。
「この広大な宇宙を創つた神とは一体何者ですか?」
モーセからさう訊かれたとき、神は
「私はあつてあるものである」
といふやうな不可解な答へしか与へることができなかつた。
その答へは
「神は神以外のなにものにもなれない」
といふ意味のやうに読み取れます。
神がさういふかたであるので、その神に似せて創られた我々人間も「自分以外のものにはなれない」存在であるしかない。さういふ存在であるなら、その存在には自ずと永遠性もあるのだと思へる。

にほんブログ村
- 関連記事
-
-
係数aを必ずプラスにする 2021/03/20
-
我が家に生まれてきて、よかつた 2020/12/11
-
名曲「Yesterday」はいかにして生まれたか 2020/12/24
-
五感を駆使する 2023/04/03
-
スポンサーサイト