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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

鯛になつて泳いでみる

2023/01/02
鑑賞三昧 0
鯛料理

料理作りの参考にいろいろな料理チャンネルを見るせいか、2ヶ月ほど前、Youtubeのお勧めにアニメ「美味しんぼ」が出現した。原作は1983年。アニメ化が1988年。もうずいぶん昔の昭和のアニメです。

ところが覗いてみるとこれがなかなか面白くて、見れるものはぜんぶ見尽くした。中には、2回3回と見返すものもある。

脚本がしつかりしてゐる。料理や食材についての蘊蓄が半端ない。主人公の山岡士郎をはじめ、登場人物のほとんどが心優しい善人である。娯楽としては申し分のないアニメだと思ふ。

その中の一作。『技巧の極致』の印象深い部分を紹介してみませう。

士郎を孫のやうに可愛がつてくれる恩人に、人間国宝の陶芸家唐山陶人がゐる。彼の喜寿の祝ひに、名だたる料理屋が唐山の器で鯛料理で腕比べをしてはどうかといふ余興話が持ちあがる。士郎は素人ながら、その腕比べに加はることになるのです。

かと言つて、士郎にプロを凌ぐやうな妙案があるわけではない。心配した友人、小料理屋「岡星」の主人はかういふ案を出してみる。

まあやはり、椀物が一番でせうね。いろいろ変化もつけられますし。煮物も結構彩りを変へて楽しめますが、焼き物や刺身となると新しい工夫を凝らす余地がほとんどありませんからね。

いかにも料理に通じたプロの分析のやうに聞こえる。しかしその提案を聞きながらも、士郎はなほ考へあぐねてゐる。

そして、
「とりあへず、明石へ行つてみる。明石に行けば、何か鯛料理の構想がつかめるかもしれん」
と言ふのです。

明石海峡の鯛は味の良いことで知られてゐる。そこへ行けば何かヒントが見つかるかもしれないといふわけです。

彼は明石へ行き、地元の漁師に船を出してもらふ。そしてパンツ一丁になつて海に飛び込んでみると言ふ。

同行の女性栗田が呆れて、
「どうして魚市場に行くとか、鯛の一本釣りの漁師さんに会ふとかしないんですか?」
と不審に思つて尋ねると、士郎の言ひ分がふるつてゐる。

「明石の鯛がどうして旨いか知つてゐるか? 早い潮の流れに逆らつて泳いでゐる内に、身がしまつてくるんだ。それに、餌になるエビやカニなどが豊富でもある」

それは分かるが、何も自分まで海に飛び込んで泳いでみる必要などないではないか。たしなめる栗田の考へは常識に適つてゐる。それに対して、士郎。

明石の鯛を旨く食べるには鯛をよく知る必要がある。それには鯛と一緒に泳いでみるのが一番だと思はないか。

さう言つて船べりを蹴つて海に飛び込む。しばらく泳ぐと、潮の流れにつかまり、溺れさうになる。危うく漁師たちが引き揚げてくれるが、そこで士郎は天啓を得るのです。

私はこゝで、士郎の発想の全うさを見る。

岡星の主人の発想はプロらしくはあるが、プロならではの経験と論理に縛られてゐる。経験から言つても論理から言つても、鯛料理で工夫があるとすれば椀物だらうといふ結論は、全うなやうに見えてとても限定されてゐる。実際この発想では、素人がプロに勝つことは難しいでせう。

そこで士郎は経験と論理から離れるしかないと考へた。概念(頭)を捨てて感覚(体)に頼らうとしたと言つてもいゝでせう。

感覚とは、明石海峡の潮の流れを体で感じてみること。そこで醸成されてゐる海水の塩分濃度を自らの舌で味はつてみること。謂はば自分も明石で泳ぐ鯛になつてみることで、鯛の体がどんなふうに締まるか、どんな味を醸し出すか、そしてどう調理するのが最もその素材を生かすか。それを自らの体に問うてみようとする試みです。

実際それで士郎は、明石の鯛を椀物にもせず、煮物にも刺身にもしなかつた。「鯛の干物」といふ、まつたく違ふ発想の調理法を採用したのです。

我々の日常生活の大部分も「かうすれば、あゝなる」といふ概念で成り立つてゐる。岡星の主人の見立てはその象徴です。たいていはそれで支障がないのですが、それだけでは画期的な発展もない。

新しい鯛料理を考案するのにいちいち明石まで行つて海に飛び込んでみるのは大変です。しかしときにはこれまでの概念を捨てて、感覚の声に耳を傾けることも無益なことではないと思ふ。



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