続・神目線を探す
前回の記事「神目線を探す」の続きです。
カインは憤つてゐた。
「どうして神は弟のものだけを重んじて、長男である私のものを無視するのか。私も弟と同じやうに真心を尽くして供へたのに」
と思ふと、憤りを抑へることができない。
そのとき神の言葉がカインに臨んだと、聖書は記録してゐます。
なぜあなたは憤るのか。なぜ顔を伏せるのか。正しいことをしているのなら、顔を上げたらいいだろう。 (創世記4:6-7) |
これが本当に神の声だとしても、もしカイン自体に「私はこのまゝでいゝのか」といふ自問自答がなかつたら神は彼にかういふ語りかけをされたでせうか。仮に語りかけたとしても彼には響かなかつたでせう。その意味では、上の言葉はカインの良心の声だと言つてもいゝと思ふのです。
良心は「神目線」を与へようとする。「自分目線」や「相手目線」は「私といふ意識」のまゝで持てるのですが、「神目線」はその意識を捨てなければ持てない。
カインの中では「私といふ意識」をどこまで捨てきれるかといふ闘ひが起こつてゐる。
良心は囁く。
「あなたは自分が正しいことをしたいのなら、あなたの憤りの原因を神のせいやアベルのせいにすべきではない。憤りの原因はあなたの外ではなく、あなた自身の中にあるのだ。それを見つめなさい」
カインの中の「私といふ意識」は反論する。
「いや、私が憤るのは正しい。私は神に差別され、弟には見下された。悪いのは神や弟であり、私ではない」
カインは自分の中でかういふ論戦を展開しながら、徐々に「私といふ意識」を手放し、良心の声に与していかねばならない。それが彼の責任分担でせう。
その葛藤を経た結果、いよいよ「自分の意識」が極限までフェードアウトすれば、良心の声はますます権威を増して響いてくる。
「神があなたを差別したやうに見せたのは、あなたの中にある憤りの原因を表面化させるためだ。あなたはその憤りの原因をしつかりと掴んで治めなくてはならない。それがあなたの責任だ」
良心がこゝまではつきりと教へてくれたとき、「自分の意識」がミニマムになつたカインなら、そのアドバイスを受け入れることが可能でせう。
我々が「堕落論」を学べば、カインの中にある憤りの原因を推察することができます。それはカインの父であるアダムに対して天使長が抱いた感情に源を発してゐると思へるのです。
ところがそのときのカインがそんな事情を知る由もないでせう。だからカインはそれを明確に知らなくてもいゝ。知らないまゝで「憤りの原因は自分の中にある」ことを受け入れればいゝのです。そこからカインの中に「神目線」が生まれるでせう。
「神目線」が生まれると、カインは自分が神や弟の被害者ではないことが分かる。従つてカインは誰をも恨むべきではなく、まづ自分の中の無意識を浄化し、「神目線」で相手や事態を見るやうに努めればいゝのです。
このやうなカインの課題は、そつくりそのまゝ私たちにも当てはまると思ふ。
日々の生活で体験する「憤り」「つらさ」「悲しみ」などの原因はつねに自分の中にある。しかしその奥深い本当の原因は、カイン同様、私にも分からない。それは分かるはずもないので、それでいゝのです。
分からないながらも、その原因に謝罪し、手放し、感謝する。そして次の良心の声を待ち受ける。
カインがそののち弟を殺してしまつたのを見ると、彼はこの課題を果たし切れなかつたのでせう。

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