毎日新しい人
おばあちやんを介護しながら何と言っても一番感心するのは、「ありがたう」を口にする回数の多さです。これはとても私の及ぶところではない。
「ありがたう」「ありがたい」ばかりではない。「嬉しい」「幸せだ」「おいしい」も口癖のやうに出てきます。
例へば、ご飯を食べさせるとき、一口食べるごとに
「おいしいねぇ!」
と感嘆する。
「こんなおいしいのを誰が作つたの?」
と訊くので、
「おばあちやんのためにぼくが作つたよ」
と答へると、
「優しい息子が一緒にゐてくれて、こんな幸せなおばあちやんはゐないね。○○ちやんも□□ちやん(孫の名前)もみんな優しい」
と言つて喜ぶ。
ときには、
「何の役にも立たないおばあちやんになつて、申し訳ないね。なるべく迷惑をかけないやうにするから、よろしくね」
と謝つてきたりもする。
認知症とは言へ、何もできない自分を自覚して肩身が狭く感じてゐるやうです。かと言つて、その口から出る感謝や喜びの言葉は決して虚言でもおべんちやらでもない。心から出た言葉だと思ふ。
どうしてかういふ言葉は絶えず出てくるのだらう。
おばあちやんは今や、足腰が弱り切つて歩くことはできない。五感の内二感(視覚と嗅覚)を失つてゐる。聴覚はまだ機能こそしてゐるもののかなり減退。最も鋭敏に残つてゐるのが味覚です。
生きる原動力は多分、一つは味覚、もう一つは喜びを感じる心だらうと思ふ。だから食事の中身はワンパターンでも、心を籠めればそれを味覚で感じ取り、心が強く反応する。それが言葉となつて現れる。
こゝには多分、認知症のお蔭もあるでせう。昨日のことはおろか、5分前のことも忘れるくらゐだから、食べる食事は毎回まつたく新しいのだらうと思ふ。
昨日を忘れる人には今日が新しい。毎日が新しい人にはマンネリ化がない。こゝに感謝の生活の秘訣がありさうに思はれます。
毎日が新しく、心から湧き上がる喜びをそのまゝ表現する人。神もさういふ人を喜ぶに違ひない。

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