住みやすい世界を創る
何気ない日常のささいな体験です。きつとほとんどの人が思ひ当たると思ふ。
スーパーで買ひ物をしてレジに並ぶと、2人前の人が財布を開けて、小銭を出さうとしてゐる。七十がらみの男性です。
財布の口を大きく開けて、硬貨を一つつまみ出してはちよつと眺め、思つてゐた硬貨と違ふのか、また財布にもどす。そして改めて、財布の中を指で掻き回して別の硬貨をつかんで取り出す。この一連の動作を数回繰り返し、やつと所定の硬貨が出揃つたやうです。その間、レジの若い女性はぢつと立つて待つてゐる。
私自身はレジでの支払ひに財布の中身を探り回すのはとても面倒なので、だいぶ前にスマホ決済に移行してゐます。しかし高齢者の中にはいまだにスマホも電子カードも使はず、レジでおもむろに財布を開ける人が多い。
かういふとき、うしろに並んで待つてゐると、イライラしてきますね。
「このITの時代に、どうして便利な電子決済を使はないのか」
と心の内で舌打ちをしたくなります。
しかし今日は、それほど急いでゐる状況でもなかつたからか、私はその高齢男性の仕草をぢつと静かに観察してゐたのです。
すると、思ひのほかイライラしてこない。舌打ちもしない。
彼はいつものやうに買ひ物に来て、昔ながらの慣れ親しんだやり方で支払ひをしようとしてゐる。ただ電子決済の簡便さを知らないだけで、昔ながらのものだけが支払方法だと思つてゐる。目の前の光景は、ただそれだけのことなのです。
彼の様子を見てゐると、特にもたついてゐると思つてもゐないやうだし、後ろの人たちを無駄に待たせてゐるとも思つてゐないやうです。極めて当たり前のやうに、自然な態度で支払ひをすませて立ち去つて行つたのです。
昔はかういふ場面で私はイライラして、時間がかかりさうなら、さつと別のレジに並び直したりしたものです。しかし今日ぢつくり考へてみると、あの高齢男性が私をイライラさせたのではない。私が勝手にイライラするところだつたのです。
今日のこの場面は特別深刻に悩むほどのものではないのですが、我々は日々刻々、さまざまな人や場面、イライラしたり、気分を悪くしたり、怒つたり、我慢がならなかつたりするやうな場面に出会ひ続けてゐます。その理由は一体何だらうか。
さう考へると、
「私の中の世界を住みやすい世界に創造するためだ」
と思はれてくるのです。
イライラしてしまひさうな場面でイライラしない。憤懣やるかたない場面で怒らない。恵まれた人を見ても妬まない。理不尽な場面で感謝の思ひが出る。さういふふうになれば、私の中の世界はかなり平穏で住みやすいものになるでせう。
私は昔から
「神は人間に創造性を相続させるために責任分担を与へた」
と習つてきながら、この「創造性」とは一体何のことかと思ひ悩んできたのです。
自己創造かもしれないし、新しい生命を創ることかもしれない。いろいろ考へてきたのですが、最近思ふのは、「私の中の世界」の創造ではないか。さういふ結論に落ち着かうとしてゐます。
神は第一の創造主として「私の外の世界」を創造した。私は第二の創造主として神に倣ひ、「私の中の世界」を創造し、完成させる。その責務と能力とが私にある。神はそれを創る材料と能力とは与へたが、実際に創り上げ完成させる責任は私に任せた。
分かりやすく言へば、私の肉体は神の創造した「私の外の世界」に住んでゐる。しかし私の心はそこではなく、私自身が創造する「私の中の世界」に住む。そしてその世界をいかに美しく、住みやすい世界にするか。それはひとえに私の創造的能力にかかつてゐると思ふのです。

にほんブログ村
- 関連記事
-
-
電波で通じた父娘の対話 2010/09/03
-
私の心は損をしない 2018/10/04
-
本当の敵は、私の外にいない 2017/04/20
-
旦那さんの皿洗い、その後 2014/09/09
-
スポンサーサイト