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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

95%は未知なのです

2022/10/10
胸に響く言葉 0
ベルグソン

最新の物理学の知見によれば、我々が今知覚してゐるのは、あるもの全体の大体5%程度であるらしい。つまり実際にはあるのに、その20分の1しか分からないで暮らしてゐる。95%は未知だといふのです。

我々が目に見てゐるのは可視光線と呼ばれる、ある範囲の波長をもつ電磁波です。その範囲外にある不可視光線も実際にはあるのに、知覚できないのでないものと思つて暮らしてゐる。しかしそれは「不可知」であつて「未知」ではない。こゝでいふ「未知」とは、もう少し奥の深い「未知」です。

フランスの哲学者アンリ・ベルグソンの体験談をひとつ例に出してみませう。

彼が講演の中でテレパシーについて、こんな話をしたことがある。

以前、ある大きな会議に出席した折、ひとりの婦人が高名な医者に自分の体験談を語つた。先の戦争のとき、夫が遠い戦場で戦死したのだが、パリにゐたその婦人はちやうどそのとき、夫が塹壕で斃(たお)れたところを夢に見たといふのです。しかも、彼を取り巻いてゐる数人の兵士の顔まではつきりと見た。

あとで調べてみると、まさに夢を見たその時刻に、夫は婦人が見た通りの恰好で死に、そのとき数人の兵士が取り囲んでゐたことが分かつた。これはどう考へても念力とでもいふべき未知の力によつて夢を通して見たのに違ひない。婦人はさう確信した。

ところが、その話を聞いた医者はかう答へたのです。

「あなたが嘘を言つてゐるとは思はない。しかし、困つたことが一つある。昔から身内の者が死んだとき、死んだ知らせが来たといふ体験談は数限りなく多い。けれども、その知らせが間違つてゐたといふことも多いのです。どうして正しくない幻をほつておいて、正しい幻だけを信じるのか」

ベルグソンは横でそのやり取りを聞いてゐた。するとそこにもう一人の若い女性が来てその医者にかう言つた。

「先生の仰ることは、論理的には非常に正しいけれど、何か間違つてゐると思ひます」

それを聞いて、ベルグソンはその女性のほうが正しいと思つた。さういふ話です。

これはどういふことでせうか。

講演の中でこの実話を紹介した上で、ベルグソンはかう言つてゐます。

一流の学者ほど、自分の方法といふものを固く信じてゐる。それで知らず知らずのうちに、その方法の中に入つて、その方法のとりこになつてしまつてゐるものだ。

その医者は、一種不可思議な体験談を聞いて、その謎を今自分が知つてゐる範囲の科学的知見で解釈しようとした。さうしようとすると、どうしても科学的に説明できない事象は統計的な問題として処理するしか方法がなくなつてくるのです。

最新物理学の知見で言へば、彼は全体の5%しか知らないのに、100%を知つてゐると思ひ込んでゐた。だから5%の論理で95%を解釈しようとしたわけです。

さういふ解釈の仕方がおかしいと悟つたなら、どう対応すればいゝのでせうか。

「さうかもしれませんね」

これが最も適切な答へのやうに思へます。

5%の中では眉唾話に思へる。しかしいづれ95%が徐々に解明されていけば、その話も合理的に説明できるやうになるかもしれない。その可能性を認めるなら、今は断定を保留にするのが最も妥当で賢明な対応ではないでせうか。

そしてこれはなにも科学の話に限らないと思ふ。

我々は大抵、自分の感じ方や考へ方が正しいと思つてゐる。しかしそれは私が関知してゐる5%の範囲内でのことです。つねに未知の95%があるといふことを想定してゐれば、自分の感じ方考へ方と違ふものに遭遇しても「さうかもしれませんね」といふことになるのが自然でせう。

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