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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

在るがまゝの真実

2022/10/03
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仏教 小林秀雄 李耀翰 本居宣長
在るがまゝ

自分は新思想を発明したわけでもなし、人には容易に覗ひ難い卓見を持つてゐると自負してゐたわけでもない。彼の考へでは、学問とは、さういふものである。私を去つて、在るがままの真実を、明らかにする仕事であるから、得られた真理は、万人の眼に明らかなものである筈だ。又この万人にとつての真理が、人の生きる道について教へない筈はない。
(『「物のあはれ」の説について』小林秀雄

こゝで小林が「彼」と呼んで論じてゐるのは、江戸時代の国学者本居宣長です。

小林によれば、学問に対する宣長の考へは、
「私を去つて、在るがままの真実を、明らかにする仕事」
だといふ。

この考へを小林は宣長の考へだと言ひながらも、実はそのまゝ、小林自身の考へでもあつたのだと思ふ。

小林は宣長を研究しながら、宣長の考へを学び、その考へに倣ふやうになつたのだらうか。さうではないと思ふ。小林も彼なりに思索を深めていつた結果、気がついてみると宣長と同じ考へに至つてゐた。小林が晩年になつて遂に宣長の論考に10年以上にも亘つて打ち込んでいつたのは、何か二人の間に我知らず響き合ふものがあつたからではないか。私にはそんな気がします。

昭和53年、小林が76歳のとき、「感想――本居宣長をめぐつて」といふ講演を行ひ、そのあと、聴衆であつた学生との質疑応答の中で、こんなふうに言つてゐます。

だから、どうして宣長までたどり着いたか、確かなことは言えません。ただ、感動から始めたということだけは間違いない。…
僕の書くものはいつでも感動から始めました。だから、書いたものの中に自然と僕というものは出ているのでしょう。僕は感動を書こうとしたのであって、自分を語ろうとしたのではない。

本居宣長』を書き始めたその動機は、小林の中に湧き上がつた感動だといふのです。感動が起こつたので、書かずにはおれなかつた。しかし書いたのは自分の考へではなく、自分が宣長のどんなところ、どんな考へに感動したのか、その感動の内実であつたのです。それを書けば、巧まずして自分といふものは出る。

人が何ものかに感動するのは、それが自分の中にあるものと響き合ふからでせう。人は自分の中にないものに出会つて感動するはずがない。さう考へると、小林は宣長に限らず、モーツアルトでもゴッホでもドストエフスキーでも、それまでのすべての評論は自分の中にあるものと響き合つたものだけだつたのでせう。

小林といふ人は自分に正直な人、といふか、自分の感動に正直な人であつたと、私は思ふ。

小林が宣長に出会つて、お互ひのあいだに響き合ふものの中心が何であつたか。

それが、
「学問とは、私を去つて、在るがままの真実を明らかにする仕事である」
といふことです。

これはきつと学問に限らないでせう。

およそ自分が天職のやうに没頭できる仕事といふものは、「私を去つて、在るがままの真実を明らかにする」ものではないか。

仕事と自分との関係について、李耀翰(イ・ヨハン)牧師は、こんなふうに説教してゐます。

信仰者は、心情論から見て、何のために活動しているのか。自分の心情を本来の心情にするためです。
自分を本来の自分に、自分を価値化するための責任分担です。これがポイントです。
仕事のための自分とか、お金のための自分だとか、目的のための自分だとか、そうではなく、目的は「自分」が目的であり、神様の目的も「自分」です。
(『心情開拓』李耀翰

「自分が目的だ」と言へば、一見すると、「私を去つて」といふのと真逆のやうでありながら、実は同じことを言つてゐると思ふ。小林の言ふ「私」とは、「仕事のため」とか「お金のため」とか「目的のため」などと考へる「私」なのです。さういふ「私」を仏教では「小我」と言つたと思ひますが、「私を去つて」とは、「小我を去つて」といふことだと考へるべきでせう。

小我を去つてみると、いくつもの表面的な「ため」は消え去り、「私の心情のため」だけが残る。「在るがままの真実」は「人の生きる道」を他人に示し教へる前に、何よりも自分自身の心情の栄養になるもののことでせう。

学者は学問を通してその栄養を求め、評論家は評論を通して求める。誰でも自分の仕事を通して同じ栄養を求めるべきなのだと思ふ。

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