正気・狂気論争
小林秀雄がその講演「信ずることと知ること」の中で、民族学者柳田國男の『故郷七十年』について触れてゐます。柳田がその中で語つてゐる十四歳のときの体験が、とても不思議なものです。
その頃柳田少年は体を壊して学校に行けず、預けられてゐた家の近所の旧家に足しげく通つては、そこの蔵書を読み耽つてゐた。その旧家の庭の奥に祠があつて、それは何だと聞いたら、死んだおばあさんを祀つてあるといふ。
少年はその中が見たくてしやうがなく、ある日思ひ切つて石の扉を開けてみた。すると、ちやうど握りこぶしくらゐの大きさの蠟石が一つ納まつてゐた。
「きれいな珠だな」
と思つたその刹那、奇妙な感じに襲はれた。
そこにしゃがんで、ふつと空を見上げると、実によく晴れた春の空で、そこに数十の星がきらめいてゐるのが見えた。
「この明るい昼間に星が見えるはずはない」
と思ひながらも、奇妙な昂奮はどうしても消えない。
そのとき、鵯(ひよどり)が高空で、ぴいッと鳴いた。その声を聞いて、少年ははつと我に返つた。
そこで柳田はかう言つてゐるのです。
「もしも、あのとき鵯が鳴かなかつたら、私は発狂してゐただらう」
この一文を読んで、小林は感動したと語つてゐます。さういふ柳田特有の感受性が彼の学問のうちで大きな役割を果たしたのに違ひない。さう感じたといふのです。
私自身は柳田さんの学問を深く知らない。それで小林の感じを「さうなのかもしれない」と思ふしかない。そして「発狂しなくてよかつた」と思ふ。
「発狂」といふ言葉は、最近あまり耳にしない、かなりインパクトの強い言葉です。「正気」の世界から「狂気」の世界へ一旦ワープしてしまへば、再び「正気」の世界へ戻ることはできさうに思へない。
しかし考へてみると、柳田少年はあのとき本当に発狂しなかつたのだらうか。「狂気」の世界に行きかけたところで、幸運にも鵯の一声で「正気」の世界に踏みとどまつたといふが、本当にさうだらうか。
もしかして、あのとき実は鵯の一声に押されて「狂気」の世界に入つてしまひ、そこから柳田はあの独自の学問を創り上げたとは考へられないだらうか。つまり、彼自身が「発狂しなかつた」と思ふのは、実は「発狂した世界」での自分を観てゐるからではないのか。
とは言へ、常識的に考へれば、発狂した人に緻密で論理的な学問など構築できるとは思へない。だからやつぱり柳田は「正気の世界」にとどまつた。さう考へるのが無難なやうです。
しかしやはり不可解なのは、
「今自分は正気の世界にゐる」
といふことを、どうやつて証明したらいゝのかといふことです。
そもそも「狂気」に対する「正気」とは何か。
人はふつう、自分が理解できない突飛な考へをする人を
「おかしな人」
と思ふ。
昨日までは自分と同じ「正気の世界」にゐると思つてゐたのに、俄かに理解できなくなれば、
「マインドコントロールされたのに違ひない」
と怪しんだりする。
神もあの世も信じない人からすれば、それらを真顔で信じる人は「おかしな人」「狂気の人」に見える。日本を素晴らしい国だと自負する人が徒に国を貶める人を見れば「売国奴」だと思ふ。逆に後者が前者を見れば「国賊」だと言ひたくなる。
これはつまり、誰でも自分が「正気」の側にゐると思つてゐて、さうでない人を「狂気」と見なしてしまふといふことです。これは私自身も例外ではなくて、むしろ、宗教的信念や何らかの強いイデオロギーを持つ人であればあるほど、その傾向が強いと思ふ。
今、世の中で起こつてゐる多くの論争(政治的であれ、経済的、文化的であれ)も、基本的にはみなこの「正気・狂気論争」のやうな気がする。お互ひに「あなたがゐるのは狂気の世界だから、こちらの正気の世界へ戻つて来なさい」と主張し合つてゐるのです。
しかしどう見ても、これは埒が明かない。「正気」であらうと「狂気」であらうと、自分の立場から見ればみな自分が「正気」に思へるのです。
だから「正気・狂気論争」は極めてコスパの悪いやり方として、もう捨てるべきだと思ふ。そして根本的に違ふやり方を考えてみる。
どんな良い方法があるか、私にも明確にはロゴス化できない。ただ言へるのは、「自分だけが正気だと言はない」「相手が狂気だとも決めつけない」といふ条件を満たす方法だといふことです。

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