アベルは息、カインは鍛冶屋
聖書の「創世記」に、アダムの2人の息子、カインとアベルが神に供へ物をしたといふ物語が描かれてゐます。
弟のアベルは家畜を飼ふ者で、羊を捧げた。一方、兄のカインは土を耕す者で、地の産物を捧げた。
ところが神はアベルのものは顧みられたのに、カインのものは無視された。そこでカインは大いに憤り、遂にはアベルを殺害した。さういふ人類最初の殺人事件とも言ふべき物語です。
聖書の記述では、この2人がなぜ神に供へ物をしたのか、その動機が明らかではない。また、供へた順序はカインの方が先だつたやうに読めます。
この簡単な記述では事の成り行きが正確に分からないので、想像をしてみます。
2人の名前の由来をみると、カインはヘブライ語で「鍛冶屋(鋳造者)」を意味し、アベルは「息(霊、命)」を意味する。彼らを1人の人に見立てれば、アベルは内面(心)、カインは外面(体)に該当するやうにも見えます。
アベル(心)の中には、生来、神に向かふ思ひがあり、
「何をしたら、神を喜ばせられるか」
と、いつも考へてゐた。
羊を飼ふやうになり、それがだんだん増えて、肉づきのよいものが出てくると、
「これだ!」
とアベルは思つた。
丹精込めて育てた羊の中から最もよいものを選んで捧げることで、神が喜んでくださるのでないかと考へたのです。そして、その思ひのまゝに捧げてみると、その後羊はますますよく繁殖するやうになつた。
これが聖書の「神はアベルのものを顧みられた」といふことです。
カインはその様子を見て思ふ。
「神に捧げるとあのやうに自分の財産が増える。私には羊はゐないが、収穫した作物を捧げたらどうだらう。来年はもつと豊かに実るかもしれない」
さうして、カインも捧げてみた。ところが、その後もさして収穫が増えるやうには見えない。
これが聖書の「神はカインのものを顧みられなかつた」といふことです。
このストーリーでは、供へ物の順序はアベルが先で、それを見てカインがあとから捧げてゐます。体を象徴するカインには捧げものに「打算」が含まれてゐた。
「打算」といふのは、
「かうすれば、あゝなる」
といふ理性の計算です。
カインとアベルを人間として2つのタイプと見ることもできます。しかし1人の人間として2つの側面と見ることもできるでせう。
1つの側面は、
「何も考へず、ただ息をするやうに自分の心の欲するまゝに行ふ」
無意識の側面。
もう1つの側面は、
「かうすれば、あゝなると、理性で考へて行ふ」
意識の側面です。
理性の考へ、特に打算をふくんだものは、神に無視される。
神が無視する理由は、
「打算では、あなたは成長しない」
といふことを教へるためです。

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