言葉のふるさと(3)
『日本語が亡びるとき』で水村美苗さんが提言する「国語教育」の眼目は、
「厳選された日本近代文学を読ませる」
といふ点にあります。
そのやうに言ふ理由は三つです。
① 日本近代文学は「出版語」が確立されたときの文章である。
どんなに上質の文学が書かれやうと、それが「出版」されなければ、国民全体に広く読まれることはない。「出版」といふ要請によつて確立されるのが「出版語」です。
「出版語」はなるべく多くの読者に読んでもらへるやう、規範性が要求されます。そして規範性のある「出版語」が流通し続けることによつて、人々の「話し言葉」が安定する。さらに「話し言葉」が安定することによつてのみ、古典の専門家でもないふつうの国民が「読まれるべき言葉」を読み継げるやうになるのです。
② 日本近代文学は「曲折」から生まれた文学である。
明治以降、近代文学を背負ふ人たちは新しい「出版語」を生み出すために、日本語の古層を掘り返し、日本語がもつあらゆる可能性を探らうとして苦闘した。それが「曲折」です。
この苦闘のお蔭で、近代文学を読む習慣さへつければ、近代以前の日本語へさへも朧げに通じることができます。例へば、次の和歌。
年暮れてわがよふけゆく風の音にこころのうちのすさまじきかな |
今から千年前に詠まれたこの紫式部の歌が、あまり苦もなく味はへる。これは近代文学が過去の文学の古層を生かしながら花ひらいたお蔭です。
③ 日本近代文学が生まれたときは、最高の気概と才能ある人たちが文学を書いてゐたときである。
二葉亭四迷、尾崎紅葉、樋口一葉、夏目漱石、森鴎外、石川啄木、島崎藤村、芥川龍之介…。綺羅星のごとく才能ある文人たちが、次々に現れてゐます。
彼らが生み出し、残してくれた「読まれるべき言葉」の数々。仮令優秀なバイリンガルにならうとも、そこへ戻つて行きたく思ふ、懐かしい「言葉のふるさと」。それが日本近代文学にあるのです。
水村さんはさらに、それら近代文学の古典を子どもたちに読ませるときの、具体的な手順についても、簡単に触れてゐます。
古典に親しむ導入としては、最初はまづ漢字の数を減らし、「表音式かなづかい」に直したもので読ませるのも仕方ない。しかしさうでない作品も混ぜることで、すべての生徒が、高校卒業までには文語体にも慣れ、伝統的かなづかいにも慣れるやうにする。
例へば、かういふ作品も原文で読ませる。
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前(だいおんじまへ)と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き… (『たけくらべ』樋口一葉) |
冒頭の一文ですが、なかなかの難物ですね。かういふ文章がどこまでも続き、一体どこで切れるのやら、一読しては判然しないことも多い。しかし江戸の風情を残したやうな描写で、脈打つ気韻やリズムは現代の口語文にはない味があります。
さて、このあとは、水村さんが何気なくふれた「伝統的かなづかい」(本当は、伝統的かなづかひ)について視野を伸ばしてみようと思ひます。

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