言葉のふるさと(1)
文化とは、〈読まれるべき言葉〉を継承することでしかない。… どの時代にも、引きつがれて〈読まれるべき言葉〉がある。そして、それを読みつぐのが文化なのである。 (『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』水村美苗) |
「日本語は亡びるのだらうか」
といふ疑念と不安を私がはじめて抱いたのは、19歳のときです。
原理講義をひと通り聞くと、最後に「再臨論」がある。
その末尾に「言語混乱の原因とその統一の必然性」といふ項目があり、
「理想世界がつくられるとするならば、当然言語は統一されなければならないのである」
と断言してゐるのです。
原理講義全体がすばらしいものであるだけに、この部分だけ否定するわけにもいかず、内心何とも言へない寂しい思ひを抱かざるをえなかつた。
しかし、本当に言語統一が必然であるとしても、最終的にどれくらゐの年月がかかるものか。そして実際どのやうな過程を経て数百数千の言語が消えていくのか。それについては、私の中でも漠然としたまゝだつたのです。
本書は長年の私の懸念そのまゝの書名です。読んでみると、非常にしつかりとした論考によつて、日本語の危機がどのやうにして進行しえるかが記述されてゐる。「なるほど、さういふことか」と何度も唸りながら読み切りました。
小林秀雄賞を受けたのは伊達ではない。間違ひなく名著です。
本書も論じる通り、今のまゝの趨勢でいけば、統一される言語は英語になる。現状でも、特にインターネットの世界では英語が完全に「普遍語」の地位を占めており、弱い言語はこの「普遍語」に呑み込まれつゝあります。
この趨勢は、もはや止めやうがないでせう。
そこで著者の関心は(私の関心もまつたく同様ですが)、
「日本語は亡びずに生き残れるだらうか。生き残るには、どういふ手立てがあるだらうか」
といふことなのです。
ただその手立てを見る前に、ひとつ触れておきたいことがあります。
「亡びてほしくない日本語の良さ、その独自性、魅力はどこにあるのか」
といふことです。
日本語に限らず、ある言葉の言語としての力はどこにあるか。
著者はそれを
「〈読まれるべき言葉〉の質がどれほど充実してゐるか。そしてその言葉にどれだけの人がアクセスしようとするか」
といふ点にあると言ふ。
この点において、日本語には類まれな歴史的な厚みがあります。古代からの伝統的な和歌。女性たちがその才能を注いできた物語や日記もの。中世の歴史・軍記もの。江戸の戯作。
そしてさういふ長年の蓄積の上に、明治の文明開化を迎へる。圧倒的な西洋言語圏の衝撃の中で、それに埋没しない「国語としての日本語」を構築しようと奮闘した才能ある文人たちが綺羅星のごとく現れる。樋口一葉、夏目漱石、北原白秋、谷崎潤一郎、小林秀雄、三島由紀夫…。
今の我々が享受してゐる日本語の豊かさ(特に書き言葉)は、彼ら明治以降の文人たちに負ふてゐるところ大でせう。彼らが伝統的な日本語独特の漢字かな交じり文を近代的に洗練してくれたのです。
特に日本語の特異性は、その表記法の多様性にあります。
文字に漢字と仮名がある。漢字には音読みと訓読みがあり、一つの漢字にもその読み方が複数ある。仮名にも平仮名と片仮名があつて、巧みに使ひ分けられる。
本書にも出てくる例をひとつ見てみませう。
ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背広をきて きままなる旅にいでてみん (『旅上』萩原朔太郎) |
この最初の二行をかう書き換へてみたらどうでせう。
仏蘭西へ行きたしと思へども
仏蘭西はあまりに遠し
あるいは
フランスへ行きたしと思へども
フランスはあまりに遠し
「仏蘭西」では固すぎて、もとのなよなよとした頼りなげな詩情が消えてしまふ。一方「フランス」では、当りまえの心情を当りまえに訴えてゐるだけになつてしまふ。
かういふ芸当は、世界中の言語の中でも、ほぼ日本語でしかできないのです。
このやうな微妙な日本語の味を味はひながら、著者は
「フランス人には内緒だが、そんなおもしろい表記法をもった日本語が『亡びる』のは、あの栄光あるフランス語が『亡びる』よりも、人類にとってよほど大きな損失である」
と言ふ。
私も、まつたく同感です。かういふ表記法とその中身において、日本語はまさに「読まれるべき言葉」満載の貴重な「国語」なのです。

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