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4次元の意識

kitasendo
しつけ

我々の肉体は3次元に生きてゐる。それなら、我々の意識は何次元に生きてゐるだらうか。

肉体よりも次元が高いはずだと思ひたいところだが、実際には2次元に生きてゐることが多いと思ふ。もしかしたら、1次元の場合もあるかもしれない。

1次元の意識とは、かういふことです。

1本の線があつて、一方の端に自分がゐて、もう一方の端に自分と考へを異にする人がゐる。自分が正しいと考へれば、相手は間違つてゐる。相手が自分と遠いほど、相手の間違ひの度合ひは大きく、近づけばそれだけ正しさが増すといふことになる。

これが「正しい、間違ひ」といふ尺度でものごとを見る1次元の意識です。

この意識は例へば、「保守VS革新」といふ構図を描く。自分を革新に位置づける人は、線の反対端にゐる保守の人が何を言はうと、すべからくケチをつけ、反対する。一方、保守を自認する人は革新の人たちに言及するとき「あちら界隈の人たち」などと揶揄的に表現し、自分たちと決して相容れないことを表明する。

1次元の意識は他にも「原理圏VS非原理圏」「アベル圏VSカイン圏」などといふ構図を描いたりもします。これを言ふ人は基本的に自分が「正しい側」の「原理圏」あるいは「アベル圏」にゐると自認してゐる。

尤もこれはやゝ単純化した構図です。実際には同じ保守でもタカ派的な保守とハト派的な保守などのグラデーションがあつて、たいていは2次元的な意識になるでせう。

1次元でも2次元でも、さういふ意識は「善悪」「正誤」「好悪」でものごとを見るので、対立、喧嘩のもとになる。国家間の戦争も、その根本的な原因はこの意識でせう。

だから我々の意識は、せめて肉体を超えた4次元に上がらないといけないと思ふ。

4次元になると、時間軸が加はります。すると、どうなるか。

以前は、これが正しく、あれが間違ひだと考へてゐたが、時間が経過して考へ直してみると、間違ひだと思つてゐたことが、実際には私の役に立つてゐるではないか。さういふ認識の変化が起こります。

例へば、躾の厳しい親が嫌で反発してゐたが、大人になつてみると、その親のお蔭で早くから自立心が育つてゐたことに気がつく。すると、昔は嫌だつたことが、今はありがたいことに変はるのです。

つまり、時間軸が加はると、過去と現在(と多分未来も)が一つに折りたたまれる。今嫌だと思ふこと、間違つてゐると思ふことが、いつ好ましいこと、正しいことに変はるか分からない。言ひ方を換へれば、今の時点で「善い、悪い」「正しい、間違ひ」を判定するのは賢明でない。さういふ考へになるでせう。

結局、意識が4次元になると、判定はつねにオープンな状態にとどまるのです。ちやうど、量子が観測されるまでは波動であると同時に粒子でもあり、位置と状態を同時に把握できないといふのに、よく似てゐます。

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