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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

この国に生まれてありがたい

2022/08/29
世の中を看る 0
自己肯定感

「日本が好きになる歴史の授業」
の構成を作つたのは、長年小学校で教諭としてつとめた斎藤武夫先生です。

対象とする学年は小学6年生から中学2年生。彼らに1年間をかけて日本の歴史(国史)を縄文時代から現代まで教へる。

この年齢の子どもたちは、それまでの「子ども」から脱皮して、「自我」といふものを形成し始める。この時期に「自己肯定感」を育てるのは、とても重要だと斎藤先生は考へるのです。



文科省などはよく「自信を育てる」といふ。しかし「自信」と「自己肯定感」とは似て非なるもの。

「自信」といふのは、「自分にはこれこれができる」といふものですが、これはもつと優秀な人との比較、あるいは自分で自信が持てない他の分野においては「自信」が簡単に裏返る。つまり劣等感になりやすい。

それに対して「自己肯定感」とは、「あるがまゝの自分で価値がある」といふ感情です。国史をうまく教へるとこの肯定感がとてもよく育つと、斎藤先生は体験からも確信を持つてゐます。

実際ネット上で実演される授業をいくつも視聴してみると、この授業は本当に面白い。子どもたちの感想を読んでも、ものすごく引き込まれる、もつと学びたいといふ感想に溢れてゐます。

その感想の核心は何かと言ふと、
「私たちの先祖は、こんな時にこんな決断をしたのか。こんな苦労をして国を守つたのか。この国に生まれてよかつたなあ」
といふものです。

「この国に生まれただけでありがたい」
といふ感謝と誇り。これこそが、まさに自己肯定感です。

この授業を聞いてみると、私は学校で国の歴史を学びながら、こんな感想を持つたことがない。ただ出来事どうしのつながりを把握し、年数を記憶するのに汲々としてゐたやうな気がします。記憶の苦手な私は、歴史を受験科目に選びたくもなかつた。

しかし想像すれば、教へる先生方も苦労し、苦心しておられたのだと思ふ。

生徒が感謝と誇りを持つやうにし、自己肯定感を育てようとすれば、まづ自分自身がさういふ人でなければならない。しかし終戦後の占領政策などによつて公教育の方針は断絶し、日本人としてのアイデンティティは相当に傷つけられてゐたでせう。

だから斎藤先生も相当苦労されたらしい。20年以上にわたつて、自分が工夫して作り上げた授業内容は無視され続け、一向に広まらなかつたやうです。

我々は誰でも、過去を否定すればするほど、感謝を失ひ、誇りを失ふ。自分の依つて立つところがなくなり、不安が増します。

悪い過去なら否定したくもなるでせうが、日本の歴史には良いものが豊かにあるのです。素晴らしい精神があり、尊敬すべき偉人がおり、この上ない美がある。それらを我々に教へてくれるのが「国史」であり、もう一つは「国語」だらうと思ひます。

ドイツの哲学者ヘーゲルは「絶対精神」を唱へ、それが歴史に展開したものを「世界精神」と呼んだ。彼の哲学は世界史を自由の概念の発展過程と見ながら、歴史を抽象化し、現実に現れる個人の悲喜こもごもは考察の外に除外したのです。

しかし生身の我々の人生は、まさにその悲喜こもごもの上に成り立つてゐると言つても過言ではないでせう。我々の先祖がどのやうな生き方をし、どのやうな考へをしてそれを形として蓄積してきたか。さういふものの蓄積から離れて、我々はどうしても生きることができないと思ふ。

だから「国史」と「国語」の二つを何よりも大切にするに如くはない。これらが我々をどのやうに支へてくれてゐるか。追々に見ていかうと思ひます。

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