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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

深層の本音

2022/08/28
瞑想三昧 0
影

「正午定着」
といふ言葉は国語辞典にはないが、
「影のない生活」
といふ意味です。

太陽の光を東から受ければ西に影ができ、西から受ければ東に影ができる。唯一影が消えるのが正午。太陽が自分の真上にあるときだけです。

影とは人に言へない秘密と言つてもいゝし、罪意識と言つてもいゝでせう。私には影がないと言へる人は、99.9%ゐないと思ふ。ほぼすべての人の人生には、何らかの影がある。正午定着の人は、だからほぼゐない。

自分たちにはお互ひ一つの秘密もないといふ熟年夫婦の話を聞いたことがあります。

結婚以来数十年間毎日3回、夫は妻に電話をする。夫の出張中に夫宛ての手紙が来れば、妻は遠慮なく封を開けて読んで、「あなた、誰それからこんな内容の手紙が来てますよ」と伝へるといふ。

それを聞けば、今我が家で妻がどんな生活をしてゐるかも推察できる。それで夫は、出張中でも気が楽なのです。

お互ひにプライバシーがほぼ皆無。これなら浮気のしやうもないでせう。

影のない夫婦はいゝなと思ふ。しかしそれでもまつたく影がないかと言へば、それは分からない。毎日3回の電話では言へないことが、もしかするとあるかもしれない。

影のある人生はつらい。常に何かを秘匿しながら、人に知られはしないかといふ不安を抱へて生きるので、心が休まらない。何よりも自分の心を誤魔化せないのが一番つらいのです。

法治社会では、影がある一定水準以上になり形として現象化すれば法で裁かれる仕組みになつてゐます。贈収賄や詐欺などといつた影です。

しかし社会的に現象化しない影もあります。その影は他人からは見えないとしても、自分にだけは分かる。それでつらいので、キリスト教には「告解」といふ許しの秘跡もある。洗礼を受けたあとで犯した罪について、聖職者に告白して許しを請ふ儀式です。

さうでもして影を消したいのが、我々の心です。

聖書が言ふ「人間の堕落」とは、我々の人生に影が生まれたといふことでもあるでせう。神から離れることによつて神に言へない秘密が生じ、人間同士でも言へない秘密が生じるやうになつた。

すると、罪を清算するとか蕩減するとは、この影を消して、正午定着に戻ることである。さう言ふこともできるでせう。

しかし、この影を消すといふ作業は、生半可な覚悟ではできない。自分の体の深奥に隠れてゐるものを引きずり出さなければならないのです。

前の記事「
無意識は体にある」で書いた通り、我々は大抵「建て前」を表面に立てて生きており、その奥に「本音」がある。「建て前」は意識なので最も他人に対して誤魔化しがきき、無意識である「本音」は他人にも自分にも誤魔化しがきかない。

しかし実は、その「本音」のもう一つ奥に「深層の本音」があるといふ気がします。これは自分自身でも気づかないことが多く、こゝに影が宿る源があるやうに思へるのです。

気づかないといふより、もう少し正確に言ふと、目を向けたくない。「深層の本音」の正体は自分でも見たくないのです。それはどんなものか。

神が願はない自分の姿を知りながらも、その姿から脱却できない、そこに安住してゐたいといふ「本音」なのです。脱却できないと自分に言ひ聞かせることで、そこに安住することを自己正当化したい願望と言つてもいゝ。

つまり「深層の本音」とは本当の自分の願ひではない。偽りの自分がその弱さゆゑに願つてしまつてゐる願ひなのです。

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