ちりを食べるな
ドイツ語の「Schadenfreude(シャーデンフロイデ)」は2つの単語の合成語で、「Schaden」は「損害」とか「毒」の意、「freude」は「喜び」の意です。それで合成語の意味は「毒の喜び」といふことになる。
これを日本語で言へば、
「ざまあみろ」
といふ言葉が思はず口をついて出るときの心理状態です。
最近では
「他人の不幸は蜜の味」
などといふ洒落た言ひ方もある。
自分が嫌ひな個人であれ組織、国家であれ、何かうまくいつてゐないみたいだといふ情報が流れてくると、
「それ、ほんと? どれくらゐうまくいつてゐないの?」
と、詳細を知りたくてついついクリックしてしまふ。
そのときの心理がまさに「シャーデンフロイデ」ですね。
日本語では「蜜の味」と言ふが、その実体は「毒」なのです。甘くて舌には心地よいからつい食べ過ぎてしまふが、実は「毒」を食べてゐる。それで、シャーデンフロイデの一番の被害者は「ざまあみろ」と言つてゐる自分自身だといふことになるのです。
この甘い毒は、舌を通過するときは心地よい。食道を下降して胃に到達してもなほ、さほど支障がない。ところがそこで時間がたつにつれて、あるいはそれが溜まるにつれて、だんだんと気分が悪くなるのです。
肉体的にも体が重くなる。精神的にも穏やかさが薄れて攻撃的になる。
聖書の「創世記」に、蛇がエバを騙して善悪の実を食べさせたと神に知れたとき、神が蛇に向かつてかう言ひます。
「おまえはこの事をしたので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最ものろわれる。おまえは腹で這いあるき、一生、ちりを食べるであろう」(創世記3:14) |
こゝで言ふ「ちり」がまさにシャーデンでせう。「ちり」は神から呪はれた食べ物であるのに、今の我々はむしろ喜んで、率先して食べてゐるときがある。もつと体によく、栄養のある食べ物が他にあるのに、どうして自ら好んで毒を食べるのだらう。
正義を装つて人の非をあげつらひ、不幸を喜ぶ。さういふ「ちり」が我々の周りに散乱してゐます。それは一見甘い蜜の味なのですが、一旦飲み込んだあとは毒となつて全身を侵食するのです。

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