陰極まれば陽となる
太極図は2つの勾玉が一体となつたやうな図柄で、それぞれの勾玉の頭の部分に小さな円がある。白い勾玉には黒い円、黒い勾玉には白い円です。
この円は何を意味するかと言ふと、
「陽極まれば陰となり、陰極まれば陽となる」
といふ思想があるのです。
これはどういふことか。いくつか例を挙げて考へてみませう。
文鮮明先生が
「堕落観念に徹せよ」
と言はれたことがあります。
これは「陰を極めよ」といふことでせう。陰を極める目的は、反対の陽に大きく振れもどすことです。
陰が極まると、
「お前は堕落性の塊だ、地獄の親分だ」
「お前には何の価値もない、クズだ、カスだ」
と言はれても、
「はい、まつたくその通り、仰る通りです」
といふことになる。
「さうは言つても、私にだつて少しくらゐ良いところもあるんぢやないか」
といふやうな中途半端な自己肯定意識もプライドもぜんぶ放り投げる。
そこまで陰を極めてこそ、陰の底を打つて、陽に振れる道が開ける。創造本性の芽が芽吹いてくるといふことです。
仏教で言へば、
「大愚の思想」
がさうです。
仏教には
「大愚は大賢にまさる」
といふ考へがあります。
中途半端な「小愚」ではものにならないが、陰を極めた「大愚」なら、これは却つて良くなる希望がある。
それで人生には、陰を極めさせようとする出来事がいくつも準備されてゐるのです。大病を患ふ。大事故に遭ふ。経済的に破綻する。何をやつても思ふやうにいかない …。
ところが、我々はさういふ出来事に出会ひながらも、なかなか陰を極められない。自分の陰を直視することはとてもつらいので、どうしても目を背けてしまふのです。たとい直視できたとしても、その陰の正体を見抜くことはまた簡単ではない。
例へば、ガンになつたとします。
ガンになつた理由はいろいろあるでせう。食生活が良くなかつた。ストレスが溜まつた。先祖からの遺伝要因がある。
しかしどんな要因があるにせよ、その人にはある特定の部位にガンが発生するのです。胃ガンなら、なぜ胃にガンが出てくるのか。なぜ肺や大腸ではなく、胃であるのか。それはなかなか分からないのです。
上に挙げたやうな理由はみな、自分の表層意識が考へつくものです。しかしなぜ胃であるかの理由は、深層意識にあるのかもしれない。
ガンを治癒する根本療法は、その深層意識の理由を探り当てるところにあるかもしれないのに、我々はそれを直視することができない。もしかすると、胃ガンを呼び込んでゐるのは自分自身かもしれないのに、それを見るのは怖くてできないのです。
それで、我々は大抵「陰を極める」ことができないまゝに、事態が推移する。そして現実には、投薬や手術といつた表層的な手段で事態を解決しようとし、また解決できると思つてゐるのです。
見るべきものを見ないやうにしながら生きてゐることが本当に多いと思ふ。

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