FC2ブログ

元教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長を辞しても思索する日々

TOP >  新規講座 >  感謝は神様に通じる

感謝は神様に通じる

大家族

「信仰生活の本質とは何でしょうか。神様に感謝する心です。そのような心があれば、それが堕落の因縁を越えて神様と私が一つの因縁で結ばれる基になるのです」
(文鮮明先生の講話より)

本日、久しぶりに新規講演会で「感謝」の意味と価値について話しました。
このブログも振り返ってみると、「感謝」についての考察から出発しています。
改めて初心に帰る思いで、このテーマを取り上げてみます。

「感謝」の反対は「不平不満」。
この2つはどこがどのように違うのでしょうか?

① 今、自分が持っていないものに焦点を当てると「不平不満」になる。
② 今、自分が持っているものに焦点を当てると「感謝」になる。

煎じ詰めれば、どこに自分の意識の焦点を当てるかの違いだと言っていいでしょう。

例えば、部屋に入ってきたとき、床にはゴミが落ちており、向こうのテーブルにはきれいな花が活けてあったとしましょう。
まず、どちらにあなたの目が向くでしょうか?

ゴミに目が行く人は、入ってくるなり、
「誰がこんなところにゴミを落として、片付けもしないで行ったのか?!」
と、今そこにはいない誰かに向かって腹を立て、不満を言うことになるでしょう。

きれいな花に目が行く人は、
「誰がこんなにきれいに活けてくれたのだろう? 私が来ることを知って準備してくれたのだろうか?」
と、今そこにはいない誰かに向かって感謝するでしょう。

私の目がどこに向かうかは、私の意識の焦点がどこにあるかふだんどんな「思い」の習慣をもっているかに拠ります。

実のところ、私の中にも私の周囲にも、きれいなもの、ありがたいものが溢れているのです。
ところが、とかく不平不満を言う人は、その溢れるほどの「今自分が持っているもの」を見ずに、わざと数えるほどしかない「今自分が持っていないもの」ばかりを見ようとしているのだと思います。

今日のゲストの中に、70代の老婦人がおられました。
なんと、4世代同居で暮らしているそうです。

自分と自分の娘はどちらも養子を迎え、ご自分は39歳の若さでご主人をガンで失いました。
孫の代でやっと男の子が生まれ、その子が有り難いことに、結婚して3年後、「一緒に住みたい」と言って実家に戻ってきました。

その孫夫婦から3人の娘が生まれ、今は8人の大家族になりました。

4世代は何かと難しいだろうと思いましたが、孫の嫁が実によく出来た女性だというのです。
朝は誰よりも早く起きて、毎日夫や義母の弁当を作ってくれる。
家族が起きてくると、必ず自分から「お早うございます」と挨拶をする。
みんなが出かけていくときに玄関を見ると、靴が全部外に向かって並べられている。

「どうしてこんな良い嫁が来てくれたんだろうか」
と、その老婦人は言いながら、
「若い時には主人を亡くして、いろいろ難しいことも多かったけど、年を取るほど幸せになってくるようです
と感謝の思いを率直に告白されました。

その話を聞けば、今時羨ましいような嫁を迎えて、運が良かったなとも思われます。

しかし私が思うには、この老婦人はその人生を、一見不幸に思える状況の時にも「有り難いこと」すなわち「今自分が持っているもの」を見ながら生きてこられたのではないかという気がします。
その心が種となって、本当に有難い現実が次第に現象化してきたのだろうと思うのです。

「感謝」は神様に通じます

良いものを無限に下さっている神様を意識する生活。
それを積み重ねていけば、私はゴミが見えずに、きれいな花だけが目に入る、そういう人間に確実に変わっていけるのではないでしょうか。

よろしければ1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村

【お勧め記事】
感謝と不平不満
CO2さん有難う
関連記事
スポンサーサイト



承認待ちコメント * by -

コメント






管理者にだけ表示を許可

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
2010-07-26 * - [ 編集 ]