誰がノーマスクをとめてゐるのか
作家の百田尚樹さんがYoutubeの「気まぐれライブ」で、
「日本はどうしていつまでたつてもマスクを誰一人外さうとしないのか、政府はどうしていつまでも2類から5類に下げないのか、その理由があるときハッと分かつた気がした」
と言ふのです。
確かに厚労省はその公報で
「外を歩いてゐるときは、マスクの必要はありません」
と言つてゐる。
その一方で、込み合つた電車の中や対面で話すときはマスクをしませうと注釈をつけてゐるし、いつどうなつたら5類に下げますとも明言しない。日本以外の諸外国はすでにほとんどノーマスクになつてゐるやうなのに、日本はいまだに野外でもほぼ99.9%の人はマスクを外さない。どうしてだらうと不思議な気がします。
その理由を求めれば、日本人特有の民族性やら関連団体の利権やらが複雑にからんでゐるのかもしれない。しかし百田さんが悟つたのは、さういふところではない。
「実は我々国民全体が、そのことを願つてゐないからだ」
といふのです。
国民が願つてゐないから、誰もマスクを外さないし、政府も敢へて声高にマスク不要と広報しない。5類にも下げない。
「いや、そんなことはない。私はマスクなんてほとんど効果がないと思つてゐる。1日も早く5類にすべきだと思つてゐる」
と言ひたい人もゐるでせう。
しかし百田さんの閃きは、ある意味、問題の核心をついてゐるなと、私は思ふのです。
根拠はないが、私の主観で数字にすれば、
① マスク不要、即刻5類にと明確に思つてゐる人 … 0.1~1%
② マスク不要、即刻5類にと何となく思っている人 … 10~20%
それ以外の人は、「みんなまだマスクしてゐるし。まだ2類だし」といふ空気の中で生きてゐる。さうすると、②の人も含めて、99~99.9%の人は、「マスクそのまゝ、2類そのまゝ」と潜在意識で思つてゐる。これが百田さんの閃きだらうと思ふ。
何が問題の核心かと言ふと、
「我々は自分が心の底で何を願つてゐるかに自分で気づかず、それでゐて『どうしてみんなマスクを外さないんだらう? どうして政府は5類にしないんだらう?』と訝つてゐる」
といふことなのです。
本当は自分の中に原因があるのに、原因が外にあると思ひ込んでゐる。「みんなが変だ。政府がおかしい」と思ひ込んでゐるのです。
みんなをさうさせてゐるのは私自身であり、政府をさうさせてゐるのも私自身である。それなのに、そのことに私は気がついてゐない。
コロナといふウイルスは確かに実在するのでせう。しかし「コロナ禍」の大半は「私」が作り出してゐる。問題を作り出してゐるのは、国民のみんなでもなく、政府の無策でもない。「私」なのです。
そのことに気づかないのは、潜在意識の思ひだといふこともあるが、そもそも気づきたくないからなのです。「問題の原因は私にある」と気づきたくない。「原因は私の外にある」といふことで済ませたい。
この閃きの価値は、コロナ禍に限定されない。どんな問題でも、我々の発想を深いところで縛つてゐる元凶があるのです。

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