イマジネーションとインスピレーション
イマジネーションとインスピレーション。この2つはどちらも、我々の行動の原動力であり、世の中を動かす推進力ともなります。
ただし、この2つがどれくらゐの比率で活用されるかと考へると、おそらく9:1か、もしかすると98:2くらゐかもしれない。それほど我々の日常はイマジネーション優位で動いてゐるやうな気がします。
イマジネーションは「想像力」と訳されることもあるが、実際はもつと広い意味で、「頭で考へること全般」あるいは「考へる力そのもの」を意味します。
一方のインスピレーションは、「閃き」とか「霊感」などと訳される。「考へる」のではなく、どこからか降りてくるといふイメージがあります。
こゝから分かる通り、イマジネーションは頭で考へるのに対して、インスピレーションは頭で考へない。言ひ方を換へれば、イマジネーションは「私」を土台として働き、インスピレーションは「私」がないところで働く。
上で推測した比率の根拠も、こゝにあります。我々は自分の頭で考へることに慣れてゐるので、「私」をなくすことがとても苦手なのです。だから大抵の問題はイマジネーションで解決しようと考へ、また解決できると信じてゐる。
会社経営に喩へをとつて考へてみませう。
資金を集め、生産量を計算し、販売戦略を練る。これらがうまくいつてこそ事業は成功すると思はれるので、会社をうまく経営するのに大切なのは、マネージメントと事業計画。これが常識でせう。
ところが考へてみると、これらはイマジネーションの分野なのです。「かうすれば、あゝなるだらう」「かうしなければ、あゝならないだらう」と頭で予測、推測して、計算をするのです。
そしてうまくいけば、
「イマジネーションは正しかつた」
と評価される。
逆にうまくいかなければ、
「イマジネーションのどこかに計算間違ひがあつた」
とみなされ、再計算を行ふことになる。
しかし実のところ、うまくいかなかつた理由はイマジネーションの不備ではない可能性がある。頭では考への及ばないところに隠れた理由があるかもしれないのです。
だから、個人であれ組織であれ、イマジネーション通りにいかず、何らかの問題を抱へたとき、それをさらにイマジネーションで補正しようとするのは、考へものではないか。さういふ気がするのです。
イマジネーションの何が問題なのでせうか。
頭で考へてイマジネーションを展開しようとすると、「合理的に説明される」ことを求めるやうになります。
会社であれば、
「この目標に無理があつた。組織体制も変へる必要がある」
などといふ分析がなされる。
その分析が合理的で筋が通つてゐるやうに見えれば見えるほど、人はそれに納得する。そしてそれに従ふことで安心し、インスピレーションを求めようとはしなくなるのです。
イマジネーションは計画の見直しや体制の改変で問題を解決しようとするのですが、インスピレーションは「私」自身の中にある問題に目を向けさせようとする。しかしインスピレーションを求めなければ、それには気づかないのです。
言ひ方を換へてみませう。
イマジネーションは「私」の外側(方法や組織)に目を向け、それを改善することで問題を解決しようとする。そして「あなたはこの改善方法に従ひさへすれば大丈夫だ」と思はせる。
いっぽう、インスピレーションは「私」の内側に目を向けさせ、「私」が変はることによつてしか問題は解決しないと悟らせようとする。ある意味では、問題は「私」の内側を変へるために起こつたとも言へるのです。

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