笑つて暮らしてください
私、大切な誰かを亡くした人から「何か言ってますか」って聞かれることが多いんですけど、亡くなった方が言ってくることって、共通してるんですよ。みんな、「言いたいことはもう何もないから、ただ笑ってて」って、笑顔しか求めていないんです、亡くなった人って。 (『「違うこと」をしないこと』吉本ばなな) |
これは吉本ばななさんの対談相手、CHIEさんのセリフです。
詳しくは知らないが、CHIEさんは14歳のときに記憶喪失になつて以来、人のオーラが見えたり、亡くなつた人の霊が見えるやうになつたといふ。自分の中に神様のやうな存在がゐる。吉本さんとの対談の前にもその方に吉本さんについて尋ねたさうです。
するといろいろな人のイメージが出てくるのですが、その中で一番多いイメージはチベットの僧侶だつたといふ。それを話すと、吉本さんも心得たもので、「自分の前世はチベットの僧侶だつたと思ふ」と応じるのです。
そんなふうに、この2人の間では神様が存在するし、生まれ変はりも当たり前の現象。人は死ねばあの世に行く。冒頭のセリフは、さういふ人のコメントです。
配偶者や親兄弟など親しい人を亡くすと、我々はどうしても複雑に考へてしまふ。
亡くなつた人はもう見えない。話すこともできない。どんなことを思つてゐるのか尋ねることができず、ただ推測するしかないのです。
しかも推測すれば、その推測はたいてい悲観的になる。
「自分も悲しいけど、あの人にも思ひ残しがあるのではないか」
「生前、充分に良くしてあげられなかつた。申し訳ない」
しかしCHIEさんの話を聞くと、思ひ残しは亡くなつた人にではなく、むしろこの世に残つてゐる人の側にこそあるやうに思へます。亡くなつた人には思ひ残したことはないし、言ひたいこともない。
そんなことを思ふ暇もないほどに、あの世は予想外の刺激に満ちてゐる。肉体はないが、霊的な体はある。見ることも聞くこともできる。
「死んだら何もないと思つてゐたのに、こんな世界が本当にあるの? 自分はまだ生きてゐる」
さういふことに興奮をおぼえ、気持ちはそちらのほうを向いてゐるのに、気がかりなことが一つある。地上に残した愛する人が、こともあらうにこちらのことを心配して悲嘆に暮れてゐる。
この心配は、霊人(あの世に行つた人)をちつとも慰めない。むしろ足かせとなつて、霊人の足を引つ張つてしまふ。
それで伝へることができるのなら、心から言ひたい。
「あなたが悲しむと私は不自由になる。もう一切悲しむのはやめて、反対に笑つて暮らしてください。あなたが残された地上での人生を精一杯楽しんで生きることが、私には一番プラスのエネルギーになるんです」

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