「直霊(なおひ)」の力
前回の記事「被害者意識を卒業しよう」で触れた「一霊四魂」。これについて、もう少し深く入つてみたいと思ひます。
我々人間には明らかに、目に見える側面と目に見えない側面がある。それをふつうには「体」と「心」とも言つたりしますが、ことはさう単純でもない。「体」の仕組みも実に精妙複雑とは言へ、「心」のほうはそれよりはるかに霊妙で掴みにくいものです。
例へば、「一霊四魂」といふ言葉にも「霊」と「魂」が出てきます。この二つは何がどう違ふのか。「心」とはどういふ関係なのか。さらには、心理学でいふ「顕在意識」「潜在意識」とはどういふ関係なのか。そもそも「意識」とは何なのか。
『原理講論』にはいくつもの「心」が出てきます。
霊的体に連結するのが「生心」、肉的体に連結するのが「肉心」。その二つが合体して人間の「心」が形成されるといふ。
合体する際、神を中心とすれば「本心」が作られ、サタンを中心とすれば「邪心」が作られるといふ。「中心として」とは、具体的にどういふことか。
さらには「良心」といふものもあり、一説では「本心」より劣るといふが、他説では「第二の神」であるともいふ。ともかく人間の目に見えない内なる世界については、茫洋として分かりにくいことが多いのです。
さて「一霊四魂」です。こゝから霊妙で分かりにくい人間の心を少しでも解きほぐしてみませう。
「一霊」とは「直霊(なおひ)」。「四魂」」とは「荒魂(あらみたま)」「和魂(にぎみたま)」「幸魂(さちみたま)」「奇魂(くしみたま)」の四つの魂です。

「荒魂(あらみたま」を一文字で表せば「勇」。達成する力です。
「和魂(にぎみたま)」は「親」。調和する力です。
「幸魂(さちみたま)」は「愛」。愛し育てる力です。
「奇魂(くしみたま)」は「智」。探究する力です。
人間はこれら四つの力(機能)によつて生きて肉体的に活動する。これから見ると、魂とは人間の思考や活動の直接の源です。ところがそれは運動エネルギーのやうなもので、今のことだけに集中的に注がれる。
その活動の結果をどう評価するか。その役割を担うのが「直霊」です。「直霊」は活動したあとでそれを省みる。認知心理学で言へば「メタ認知」です。
「直霊」は四つの魂を統括しながら、それらの活動を常に省みて、フィードバックする。
「こんなことをしたらダメだ」
「やり過ぎだ」
「もつとかうやつたらいゝ」
そんなふうにその都度フィードバックすることによつて、四つの魂が徐々に磨かれ、人格が成長する。だから「直霊」がなければ、人間は成長しないのです。
「直霊」が活動を省みることができるのは、魂の活動を上から俯瞰してゐるからです。我ならぬ我であつて、「直霊」だけが神に直通する。魂と神との仲介役と言つてもいゝでせう。その意味で「直霊」は、第二の神としての「良心」に近い。
さうすると、こゝで一つの面白い閃きが生まれます。
『原理講論』に
「被造世界の森羅万象の中で、神に対する内的な感性を備えているのは人間だけである」(創造原理第6節)
との記述があります。
なぜ人間人にだけ、神に通じる内的感性があるのか。それは人間に「直霊」あるいは「良心」があるからだ。「メタ認知」ができ、「自らを省みる」といふ能力のあるものだけが、神を認識する。そのやうに言つてもよささうに思へます。

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