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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

先はもうそんなに長くないからね

2022/07/03
介護三昧 0
アルツハイマー

40代半ばの女性がアルツハイマーの父親を自宅で介護してゐる。税理士の仕事をしてゐたが、仕事と介護の両立に疲れ、仕事を辞め、介護に専念するやうになつた。

兄からは
「お前、仕事を辞めてまでお父さんの介護を背負ふことはない。施設に預けて、お前はちやんと仕事をして生きていけ」
と言はれる。

アルツハイマーとは言へ、父親はまだ娘のことを認知できる。女性としては、その父親を施設に預けるのは忍びない。親不孝のやうに感じる。

さういふ相談を受けて、元大学教授の武田邦彦先生がかう答へる。

「人間は歳を取つてくるとね、生物の一種として、生きるといふことに執着心がなくなつてくる。例へば、私は79歳だけど、もつと若い頃だつたら、ガンだつて言はれたらすごく怖いといふ感じがするけど、今だつたら全然動揺しない。それが命だといふことが、頭で分かるんではなくて、生物として人間として分かつてくる」

だから「親不孝ぢやないか」といふ娘さんの悩みは、40代の人間としての悩みだ。70代のお父さんの立場になつて考へてみれば、自分の境遇をもつとあるがまゝに受け容れてゐるかもしれない。

さういふアドバイスです。

私もおばあちやん(老母)の介護をしながら、ときどき似たやうなことを考へることがある。

おばあちやんは認知症が相当進み、体も弱つて、ほぼ寝たきり状態に近い。

さういふ親を、デイサービスのお世話になりながらも自宅で介護してゐると話すと、
「親孝行ですね」
と言はれることも多い。

同年代の男性からは
「私には絶対できない。間違ひなく施設に預ける」
と言はれたりもする。

私自身には、自分が特別に親孝行だといふ気持ちはない。その一方で、「施設に預けるのは可哀さうだ」といふ気持ちもある。

それはしかし私の気持ちです。当のおばあちやん自身はどう思つてゐるだらう。それもときどき考へる。

「施設に預けてくれたほうがいゝ」
と考へてゐるとは思へませんが、確かに私が想像するほどには、生きることに執着してはゐないと思ふ。

「先はもうそんなに長くないからね」
と、ときどき言ふ。

そこには、40代の女性がガンで余命はあまりないと宣告されたときのやうな悲壮な感じはない。自分の自然な死がもう手の届くところまで来てゐるといふことが、生物的な実感としてあるのでせう。

人が生まれてくるとき、多分
「私はこれからどういふところへ生まれ出ていく」
といふやうな自覚はない。

気がついたら、おそらく3歳か4歳か、あるいはもつとあとか、
「あゝ、私はいつの間にか生まれてゐたんだなあ」
と気づく。

それと反対のプロセスで人は若い頃には、
「私は数十年後には死ぬだらう」
と若干の怖れをもつて考へてゐるが、死が間近に迫つてくるほどの歳になれば、死は何でもなくなる。

そして死ぬときになれば、
「私はいつ死んだんだらう?」
といふほどに、死の自覚がなくなる。

おばあちやんと毎日つき合つてゐると、私の中でも、生と死の間の壁がだんだんと崩れていくやうな気がします。



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