天然のアルゴリズム
Amazonで何らかの商品を検索したり購入したりすると、間もなくFacebookにそれと同じ分野の商品広告が現れる。しばしばさういふ体験をします。
これは昔なら
「シンクロニシティだ」
と言つて驚いたりするところでせうが、今なら
「これはアルゴリズムだ」
と言はねばならない。
シンクロニシティと言ふのは心理学者のユングが提唱したもので、共時性と訳される。一見神秘的な現象です。
例へば、私がある人のことをふと思ひ出してゐたら、ちやうどそのとき、その人から久しぶりに電話がかかつてくるといふやうなことがある。相手はもちろん私の考へなど知るはずがない。偶然かもしれない。しかし似たやうなことが、結構しばしば起こるのを我々は体験するのです。
それと似たことが最近のネット上では当たり前のやうに起こる。しかしそれはAIのアルゴリズムで説明できるでせう。
私の場合なら、ネット上の私のアイデンティティの基本はGoogleに握られてゐて、それを中心にAmazonもFacebookも繋がつてゐると思はれます。
AIが私の好みを検索行動から察知すると、それとの繋がりで私が興味を持ちさうなものを計算してさつと集めてくる。その中の一つにアクセスすると、さらにそれと同類のものが集まる。そんなふうにして、私は似たやうなものばかりに囲まれることになるのです。
考へてみれば、シンクロニシティとは、もとから宇宙に備はる天然のアルゴリズムと言つていゝかもしれない。
私が心の内で何かを思ふ。あるいはその思ひを行動に移す。さうすると、それは何らかのエネルギーとなつて私から放出され、宇宙に伝はつていく。それはちやうど、池に一粒の石が落ちると、水面に波となつて広がつていくのに似てゐます。
その波はそれと近い周波数のものと共振を起こし、エネルギーを増幅する。それが大きくなればなるほど、私に強く感じられるやうになるのです。
私が思つてゐた人から電話が入る。それはエネルギーが増幅された現象だと言へさうです。電話が入るといふ現象以外にも、私の周りではさまざまな現象が同時に起こつてゐる。しかし大多数の現象はエネルギーが小さいので注意を引かず、大きなものだけが意識される。
「思つてゐたら、その人から電話が入つた」
と驚くのは、そのことなのです。
このことから、次の二つのことが分かります。
① 私に起こつてくる現象は、私の思ひとの共振現象である。
② その現象の中で私が意識するのは、相対的にエネルギーの大きなものである。
これをもう少し分かりやすく考へてみませう。
私の周辺にはつねに無数の現象が生起してゐます。しかしそのすべてを私は意識してゐるわけではない。
私の五感はそれらを知覚してゐたとしても、すべてが意識に届くのではなく、脳に行く途中でフィルターにかけられ、大部分は不要なものとして捨てられる。エネルギーの大きなものだけがフィルターを通過して意識にのぼるのです。
その中のあるものを「嬉しい」と感じ、あるものを「嫌だ」と感じる。しかしいづれにしても、それらは元々私の中にあつた思ひに共振したものなのです。
つまり、私は私の関心のあるものだけを意識して生きてゐる。
ある人は、自分の周りにはいつも嫌な人が多いと思ふ。
ある人は、自分はいつも善い人に恵まれてゐるなと思ふ。
ある人は、世の中がだんだん悪くなつていると不安になる。
ある人は、昔よりも良くなつたなと喜ぶ。
これらの人たちは、別の世の中に住んで違ふ現象を体験してゐるのではありません。同じ世の中に住み、同じ現象に接してゐるのに、違ふ感じ方をしてゐるのです。
その違ひはどこから来るのか。意識してゐるものが違ふのです。
「私が喜び安心して生きるためには、人を変へ、世の中を変へなければ」
我々はさう思ひやすい。
変革が必要なものは確かに多いでせう。しかしその前に踏むべき段階があると思ふ。
「私の思ひは何と共振してゐるのだらうか」
と、自らを一度振り返つてみることです。

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